隣の部屋から断続的に聞こえる幼児向け番組の明るい声と、誰かが枕元に歩み寄る気配で目が覚めた。ぼんやりとした視界の隅に妻が座っている。ちょうど携帯電話をこちらに向けて、その画面を僕に見せようとしてくれている所だった。「岡久君のお母さんから」と彼女は言った。僕はまだ思考が安定しない事を表情で示し、彼女の手から携帯電話を受け取ってその内容を確認した。隣の部屋で跳ねていた子供が走りよって来て布団に潜り込み、「父さんが起きた」と叫んでけたけたと笑った。もしかしたら「倒産が起きた」と言ったのかもしれないけれど、普通、人はそうした事では笑わない。
家族は皆朝食を食べ終えていたので、妻が洗濯物を広げている間に、僕は自分のためにハムエッグを焼き、二杯分のコーヒーを煎れた。卵を焼いている間、細切れに中学生の頃の風景を思い出した。そこには脈略はなく、音声も色もなかった。記憶の断片が不意にビーカーの中で舞っただけだ。振り返ると、用事を終えた妻が台所の椅子に腰を下ろし、広告を見ていた。
「うちの実家の猫は、中学生の頃にもらってきたんだ」と僕は皿とマグカップを手にして机を回りながら言った。それから引いた椅子に腰を下ろし、次の言葉を探した。やや遅れて妻は「知ってる」と小さく声に出して頷く。弱く微笑む。寝不足で少し疲れているみたいだ。けれど話の続きを待っている。僕は視線を目の前のマグカップに移し、その茶色い魔法の液体が縁取る円形を追いながら次の言葉を並べた。
「……動物病院の娘のナカタさんって知ってる? 彼女が拾って来たんだ。でも彼女、小さな頃から動物病院で育ったくせに自分は猫アレルギーで、それで引き取って欲しいって僕に頼んで来た。冗談みたいな話」と僕は言い、彼女が微笑むより早く笑顔を浮かべた。もちろん彼女はその事実も知っている。ハムエッグの卵はひとつが割れていて、ひとつが割れずに残っていた。フェイルセーフというよりはフォールトトレラント。
食器を洗い、子供達を寝かしつけて、昼過ぎから図書館に向かった。その時刻と方角のせいで、走っている間はずっと逆光でまぶしかった。信号で停車した間に辺りを見回すと、花屋とバイク店の軒先は何かの祝福を受けたかのように空気が輝いていた。これと同じような景色を僕は以前見た事がある、とふと感じた。信号が青に変われば、それ以上は探らない。
図書館の前には、隣接するホールでの催しのためか幼い子供が大勢いて、坂道を走り回ったり、わざと変な格好で自転車に乗ったりして遊んでいた。僕は、原付を運転している間に思いのほか冷えた自分の身体に気づき、足早に館内に向かった。受付には初めて見かける利発そうな女性が座っていた。綺麗な目をしていて、誰かに問われたら即座に素因数分解の定義を口に出せそうな鋭さを感じる。横切るまでの数歩目をやった限り、仕事ぶりも滑らかで丁寧なものに思えた。僕はニュートンの新刊とアサヒカメラと数冊の専門書を抱えて、ゆっくりと階段を上がり自習室に向かった。
入り口から一番近い座席にノートを広げて、自宅から持って来た鞄の中の本も取り出す。扉の開閉が気になったのですぐにヘッドフォンを着けた。一番新しいくるりのアルバムが最初から流れ始めて、僕は徐々にケプラーやデカルトやライプニッツの世界に身を浸していった。
午後四時半を回った頃に本を閉じ、席を立った。不思議な感じがした。まるで意図的にそれまでずっと息をひそめていたみたいだ。僕がそこに二時間以上座っていた事に、世界中の誰も気がつかなかったかのような感覚。僕はノートとボールペンを鞄にしまい、やり残した事を確認するみたいにもう一度館内を歩き回ってから、カウンターを過ぎ、出口をまたいだ。陽の光はさっきよりも穏やかに、世界を斜めに照らしていた。
優しい照り返しに包まれながら原付のハンドルを握っている間、母親からのメールにあった文章を僕は思い出した。実家の猫についての短い知らせだ。「老衰ではなく、顎のガンだとわかりました」と彼女は書いていた。「心臓が強い子なので、早めに気づいて手術していればまだ何年も生きられたはずです、残念ですが。とお医者さんは言っていました。余命一ヶ月との事」
僕は自分の意識がどこに向いているかを意識しようとする。リカーシブコール。何かの警告が頭の奥で鳴り響いているように感じられる。「限りなく細分割したものを積み上げて曲線の面積を求めようとする考え方が、積分学の基礎となります」とそこに文字列は並ぶ。やはり音は無い。そこには空気がない。いつもの通りの道順でダイエーの前を右折した直後、唐突に視界が濁ったので慌ててブレーキをかけ、原付を歩道に寄せた。泣いている場合じゃないんだけどな、と僕は思った。
玄関を開けると同時に、風呂場からくぐもった二歳児の歌声が聞こえて来た。ミッフィーの主題歌かカタツムリの童謡か、もしくは彼女のオリジナル曲だ。台所にはハンバーグの用意ができていて、几帳面に切りそろえられた野菜が並ぶ。すぐに風呂場の扉が開いて上の子供が飛び出してきた。「拭いてあげて」とまだ入浴している妻の楽しげな声が響いた。
「お父さんはどこに行っていたの」とアカネが僕に問う。僕は「図書館」と短く返事をする。彼女は言葉が通じた事に満足げな表情を浮かべ、「次はどこ行くの」と重ねて質問した。僕はタオルで彼女の髪を撫でながら、「来週は実家。猫を見に行こう」と返事をする。彼女はまた嬉しそうな顔をして、その場で二回ジャンプをした。背中に羽が生えていると勘違いしている可能性がある。
「もうすぐ死ぬんだ」と僕は言った。アカネは微笑みを浮かべたまま、カーペットに座り込んで自分で服を着始めた。それから頼りない声で「死ぬと何になるの」と質問をする。僕はそれには返事をせずに、台所のテーブル上に並べられた、火を通せば完成するハンバーグの一群を指差して「偉大なるシェフを待つべし」と答えて微笑んだ。
死ぬと記憶になるんだ、とその夜僕は誰かに向かって言う。そしてどこかの砂浜の輪郭みたいに、徐々に削られ、忘れられていく。その顔も、声も、体温も。けれど、やがて波がすべての砂粒をさらってしまうまでは、僕たちはそれをとどめておく事ができる。大げさな行為なんて必要ない。僕たちは時々、波打ち際まで歩いていって、その風景をただ心に焼き付けさえすればいい。リカーシブコールを利用するのだ。楽観的かもしれないけれど、僕にはそれができると信じている。
僕がユキを引き取ったのは中学一年生の頃だ。彼にとって、我が家に来て最初の体験は、母の日のプレゼントとして無理矢理小さな箱に入ってもらった事だ。本人はその件についてまだ怒っているかもしれない。来週謝りにいこう。彼がこの世を去る前に。僕が30歳を迎える前に。
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