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070117:2212
特別な事のなにも起きない平凡な一日の記憶というのは、後から思い出すことが難しい。記憶のかたまりが削除されるのか、手の届きにくい所にしまわれるのか。もしかしたらランレングス方式に似た暗号化で圧縮されるのかもしれないな、とある時思った。退屈な日 * 3、遠足、退屈な日 * 22、といった感じ。記憶容量の節約になる。
昔、僕はよく大学をさぼって武庫川に行った。朝の8時に家のドアを開けた時にはこれから地学の授業を受けに行くつもりなのに、閉めた時には川に行こうと決めている。まるで目が覚めた時からそうするつもりだったみたいに。そんな日が月に何度かあった。 同じ実験班だったY君に、「僕は大学へ行こうという意思が弱いのではなく、大学へ行きたくないという意思が強いのだ」ときっぱりと真正面から言い訳した事があるけれど、言い訳が必要な行動というのが既に世間からずれている証拠だ。そして、その台詞もまた嘘だった。僕は別に大学へ行きたくなかったわけでもない。きっと皆が当たり前に持っている集中力や向上心がなかっただけだ。 今にして思い返してみれば、地学の授業はドイツ語の授業と並んで面白かったし、随分もったいない事をしていたのだろうと思う。しかしながら、それは結局「今にして思い返してみれば」言える事だ。当時の僕には大学の授業の価値はわからなかった。今の僕になら、授業の価値はわかるけれど、きっと内容がわからないだろう。皮肉な話だと思う。
川辺で適当な場所を見つけて座り、飛行機を眺めたり、本を読んだり、水面を滑る誰かのラジコンの動きを追ったりして半日を過ごすのが好きだった。将来何になりたいとも思わなかったし、何になれるとも思わなかった。周りの人間の振る舞いにも、その将来にもさして関心がなかった。
初夏のある日の朝、僕はいつものように川辺の石段に腰を下ろし、ふと「今日の事をしっかり記憶してみよう」と思った。この平坦でとりとめのない透明な一日に起きた出来事のすべてを、修学旅行の日のように、転校する前日のように、初めて葬儀に出た日のように、特別な二十四時間として強く心に留めておこう、と。 仰向けに寝転がって目を閉じてみると、瞼を通して光が複雑な色に分解された。暗黒の中に、シャボン玉が割れる直前のような色彩が一瞬踊る。やがて舞台の幕が開くようにして、混ざり合った音が耳に届き始める。遠くの橋の上で大型トラックがクラクションを鳴らしている。水鳥の群れがせわしなく会話しながら低空を旋回している。強い風が吹くと、まるで巨大な昆虫のように街路樹が葉を震わせて音を立てる。 ほんのわずかに意識の置きどころを変えると、まるで違った種類の音たちが存在している事に気がつく。それはとても不思議な感覚だった。オベラとクラシックとロックのコンサートが同時に行われていて、僕だけが、チャンネルを切り替えるように気の向くままに座席を移り変わる事ができるのだ。そしてそれらの音の裏側で、古い映写機の回転音のように、川の流れる単調な水音がずっと聞こえていた。 すべては嘘かもしれない、と僕は今でも時々思う。世界にはただ一本の川だけが流れていて、その水の流れが僕たちに夢を見させているのだ。クリスマスの夢や、戦争の夢や、地学の講義の夢や、飛行機の夢を。川の水はなんの責任も取らずに最後には拡散してしまう。だから僕たちは、誰にも、何も、問う事ができない。
僕は目を開けてもう一度世界を見た。そして十年ほどの時間が流れて、今の僕になった。残念ながら、なんでもない一日を記憶するという僕の試みは失敗に終わった。午後から授業に出席したかどうかも覚えていないし、夕食になにを食べたか、手がかりさえ見当たらない。僕にはただ、川辺に座って目を閉じていた時の記憶だけがある。
070210:0030
「……つまり、世界中が騙されているという事になるのね」 妻は、まるで古い時代の探偵助手のような口ぶりで満足げに声にしてから、そっとティーカップを口元に運んだ。昼下がりの台所には何か意味深い物語が始まる予兆もなければ、クライマックスに向かう気配もなかった。ただ我々がいて、ティーカップが並んでいた。なんとなく、彼女はその台詞をどうしても言ってみたかっただけという風にも見えた。 「林君に悪気はない、と信じたい」僕はかばうように言った。「でも彼が僕に対して、『Hedwig & The AngryinchのDVDを早く返せ。観ないならなおさら早く返せ』と言ってきている事は事実だし、僕には観た覚えがない、ましてや借りた覚えもない、というのも事実なんだ」 「でもあなたの本棚には、その林君の言うDVDが並んでいる」妻はまだ十分には納得がいかない様子だった。「なぜかしら?」確かに彼女の指摘した点は、今回の件を複雑にしている最も重要と思われるファクターだった。爪で何度か、ティーカップを規則的に叩く音。 「おそらく、誰かが僕を罠にかけようとしている」と僕は声をひそめて言う。彼女は数秒の間を置いて、直感的に最後までの道筋を理解した顔になる。そして「まさか」とちいさく声に出し、口元を左手で覆った。 「そうなんだ」僕は意を決して言葉を並べた。「林君は僕にDVDを貸したと言っている。早く返せと言っている。僕は観ていない。はっきりとした借りた覚えもない。しかし僕の本棚には林君が貸したというDVDと同じものが並んでいて、まるで何年もそこに置かれたままのように触られた形跡がない。重要なのはここなんだ。『何年も触られた形跡がない』ということ」 僕は狼狽した彼女が落ち着きを取り戻すまで、数秒間をおいて話を続けた。「冷静に考えてみて欲しい。コンテクストを追いかけるんだ。最終的に一番得をするのは誰だ? 誰かが嘘をついている。おそらく人生最大の嘘を。僕たちがほんの少し留守にしている間に、誰かが扉の色を塗り替えてしまったんだ。それで僕たちは混乱している」 「私は信じたくない」と彼女はか細い声で口にした。「そんなことって……、信じられない」 彼女が瞳を下に向けて泣き始めたので、僕はふたたび間を置いた。向かいの窓に揺れるカーテンに目をやり、かすかに風が吹いていることを確認した。僕は耳を澄ませる。目を閉じて、そこにオーケストラのちいさな重なりを聞く。ホルンが歌い、ティンパニが時間を刻む。コルネットが問いかけ、チェロが答える。そして、トロンボーンが響く。とても温かく。カーテンはまるでその優しさに甘えているようだった。
070317:0100
一時期、本名でサイトを運営していくのをやめようかなと思った時期があった。理由は単純で、結婚を機に秋田に引っ越したうちの姉が「最近、検索に凝っている」とわけのわからない事を言い出したからだ。検索に凝る、ってなんだ? 話を聞くと、身近な人物の名前なんかをキーにYahoo!で(「Yahoo!」で……)検索してみると、意外な情報に行き着いたりするのが面白いという。あんまりマナーの良い行動とは思えないけれど、気持ちはわかる。インターネットに触れ始めたばかりの頃、きっと僕もやったはずだ。姉は、2006年にインターネットを始めた。彼女はいつだって最先端を生きている。
僕は夕食の席でその話を聞きながら、嵐を前にした仔ウサギのように怯えた。フォークを持つ手が絶え間なく震え、ただただ母ウサギが早く巣穴に帰ってくる事を祈った。「……僕のこのサイト、誰に見られてもいいけれど、実家の人間に見られるのだけは嫌かも」と、割とキュートな口調で考えた。それで確かほんの一週間くらいの間、トップページの書き手の表記も、サイト名と同じ「bicoid」に変えていたのだ。 あっさりとそれを元に戻したのは、友人たちのサイトに僕を指して「bicoid君が……」と書かれるのがどうにも落ち着かなかったから、であり、僕の名前は実はbicoidではないから、でもある。サイトの名前と書き手の名前は、やはり区別されるべきなのだ。
ついでなので、たぶん誰にも言った事のない話を。bicoidというおよそ多くの人にとって聞き慣れない単語をこのサイトに名づけたのは、その言葉に、左右対称になれそうでなれない不完全さのようなものを感じて気に入ったからだ。僕の知っている単語の中では、一番悲しくて孤独で美しいものに思える。 それ以上の意味は特にない。名前の意味なんて、それくらいあれば十分だとも言えるけど。
閑話休題。ともかく、僕は元通りに自分の名前で文章を書き、自分の名前でプログラムを作り、自分の名前で写真を選ぶようになった。それによって責任感が変わったとは思わないし、当然質が上がったわけでもない。相変わらず文章は行き先がないし、プログラムは未完成だし、写真はピントが甘い。それに、やはり今だってあまりここを訪れて欲しくない相手というのも存在する。それでも、これはこれで僕らしいやり方だろうと自分で納得している。世の中には嵐を生き延びる仔ウサギだっている。
会社の人間に対しては、僕は名刺代わりにこのサイトのアドレスを教える事にしている。残念ながら、ここでもやはり誰にでもというわけにはいかない。ご想像の通り、相手によってはやはり面倒な事になる可能性はあるし、くだらない消耗は避けたい。名刺代わりとは言いながら、名刺みたいな特別なものをやたら誰にでも渡したくないわけだ。僕という人間は。 長い間、同じ会社の人間の中では、後輩の一人の男性だけがこのサイトの訪問者だった。今でも一番頻繁に訪れてくれている会社の人間は彼だと思う。ある時、彼が別の後輩にもこのサイトの存在を伝えてくれた。その相手も、いずれ機会があれば僕の口から直接教えようと思っていた人間だった。要するに、基準が近いところにある。僕はある基準に照らして最初の彼を選んだし、彼もまたある基準に照らして次の彼を選んだ。ずいぶん偉そうな言い方になるけど、僕はそうした目に見えない基準を共有できる人が好きだ。そんな大げさなサイトかよ、という気は常にするんですけども。
次の話。 自宅と最寄駅との間に、JRのレール下をくぐるとても短いトンネルがある。一般的な呼び方ではトンネルとは分類されないかもしれないけれど、正式な呼び方を僕は知らない。毎日、僕はそのトンネルのようなものを抜けて通勤している。僕はほんどの場合、階段を降りきった地点から、レール下をくぐって昇りの階段までの間を、16歩で歩く。スティングの音楽を聞いている時でなければ、だいたいはその歩数でうまく歩ける。時々、ちょうど電車が頭上を通過するタイミングに当たる事もある。何千台もの小型の洗濯機を集めて、それらをさらに一台の巨大洗濯機の中に放り込んで暴力的に回しているような、容赦のない音がする。昨日、僕はたまたまそれを経験した。
細かい雨が降っていたので、僕はヘッドフォンを外していた。傘はない。月は出ていない。正確な時間もわからない。街頭の照らす範囲にしか世界はない。 僕は考え事をしながら歩いていて、遠くに鳴る踏切のサイレンをほとんど意識していなかった。だから頭の上で突然はじまったその轟音に混乱した。僕の意識は見た事のない戦場に飛び、それと同時に谷底に落ち、別の言い方をすれば引き裂かれていた。それまで歩きながら抱えていた思考が吹き飛びそうになり、あわてて捕まえ直した。簡単に見失ってはいけない事を考えていたから。その思考には僕以外の登場人物が存在し、僕が物語を先へ進めるのを待っている。
時間にしてみればそれほどのものではなかったと思う。せいぜい1分か2分。僕は辺りがしんと静まり返るのを待ち、それからトンネルの中でわざと立ち止まってみた。意識して呼吸をする。それから身の回りに何もおかしな事が起きていない事を確認し、暗闇を抜けて昇りの階段を前にする。しかしそこで、僕は歩数が合わない事に気がつく。2歩消えている。
070322:2304
僕の祖父は、僕よりも僕の姉を可愛がった。祖父は、姉とはしょっちゅう買い物へ出かけたり散歩に出かけたりしていたけれど、たぶん僕と二人でどこかへ出かけた事は一度もなかったと思う。そして、僕は別にそれを気に止めたりはしなかった。何十歳の年齢差があろうと、たとえ家族であろうと、人と人とが気持ちよく交流するにはやはり波長のようなものが必要なのだと思う。 祖父は姉の話にはよく笑ったけれど、僕の話を聞いて笑った顔を見た記憶はない。時折、話をするのが面倒臭そうにも見えた。僕と姉が互いに小学生の頃からそうだったし、僕はある時期を境にして家族に心を閉ざすようになったから、その後はきっと、さらにどう接していいのかわからなくなったんだと思う。
祖父は何ヶ月もの入院生活ののち、病院で死んだ。ほんの数年前の事だ。亡くなる半年くらい前から痴ほうが進み、家族一人ひとりの区別ができなくなっていった。先に亡くなった祖母の事情も知らされないまま、いつか見舞いにきてくれると信じてひっそり死んでいった。それはやはり、どうしたって悲しい光景だった。
彼は祖母以外のほとんどの人間を順に忘れていった。僕の父の名前を忘れ、母の顔を忘れ、あれだけ可愛がっていた姉の存在を忘れた。存在を忘れるというのは大げさな言い方ではない。誰かが姉の話を持ち出してもからっぽの表情を浮かべ、しばらくしてから「それは誰だ」と問うのだ。きっと姉はそれなりに落ち込んだと思う。誰かに存在を忘れられるというのはつらい事だ。 いま思うと本当に不思議な事だけど、そんな中、祖父はなぜか最後の瞬間まで僕のことだけは認識した。きちんと僕を名前で呼び、整合性のある会話を試み、手を握ろうとした。僕はその青く痩せた手を握り返し、何枚か写真を撮った。きっと僕には覚えている事はできないと思ったからだ。その手の細さや、骨の出っ張りや、肘の軽さを。祖父の町で暮らした夏休みの気怠さや、正月の喧噪や、夕立の匂いを。祖父が姉の記憶を失ってしまったように、僕もいずれそれらを遠くに押しやってしまうはずだ。それも、どこまでも無自覚的に。
仕事を終えて外へ出た時、ふと雨の匂いを感じて、そんな事を思い出した。でも雨なんて降らなかった。ただのひとしずくも。
070601:0108
僕が子供の頃、家の近くに平和台球場という野球場があった。結局一度も中に入る事はできなかったけれど、外から僅かに覗く事のできる、ゲートで区切られた四角の中に見える絵画的な芝生は、いつだってとても青々しく綺麗だった。風が吹くと光そのものが揺れているのがわかる。 球場の近くには、小学生の手には負えないくらいの広大な公園があって、僕は友人の花野君と二人で日が暮れるまで辺りで遊びまわった。樹木と昆虫が多くて、厚かましくない程度にきちんと手を入れられた素敵な公園だ。そこでは夕立さえ僕たちの味方だった。
僕は小学五年生から六年生にかけて、花野君と共に、好奇心をそのまま具現化する作業に没頭した。ある時には石器を作った。黒くて硬い手ごろな大きさの石を見つけ、昼休みの時間を使って学校の観察池の水で磨く。なぜ観察池の水だったのか、よくわからない。せっかくの昼休みに、じめじめとした校舎の裏側で池のほとりに腰掛けて石器を磨いている人間は、後にも先にも僕たち二人だけだったと思う。そもそも石器を磨いている人間が僕たち二人だけだった。特に石器だけにこだわっていたわけではない。僕と花野君は来るべき戦いのために武器を持つ必要があったのだ。
平和台球場の近くの公園に、ごく当然の事として僕たちは基地を作った。他よりも枝の生い茂った頑丈そうな樹を見つけると、登るための足場を確かめ、幹の枝分かれした揺れの少ない部分にダンボールでベンチを作った。たぶん高さにして地上三、四メートルくらいだったと思う。 僕たちはそこに互いの石器を隠した。それから花野君は竹を曲げて作ったわりと本格的な弓矢を隠した(彼は火を当てて竹をゆっくりと曲げるのが抜群に巧かった)。ブーメランと弓矢とパチンコと石器とコロコロコミックで完全武装した花野君を目にするたび、僕は「この人はいざという時にはどの武器から使うんだろうか」と不思議に思い、わくわくした。 僕たちは樹上の基地に腰掛けて、葉の茂みの向こうに人影を見つけるたびに、「……敵発見! しかしこちらにはまだ気づいていない模様!」などと小さな声で叫んだ。でも今考えてみると、通りがかりの一般の方々は、ごく普通に僕たちの存在に気づいていたと思う。それなりに近い距離で、葉の茂った大きな樹が明らかに胡散臭い揺れ方をしていたら、誰だって気づく。樹の下にはっきりとリュックサックを置いていたのが致命的だ。 大きな枝に腰掛けて頬に受けるやわらかな風には、他の誰にも汚されていない誇りのようなものが感じられた。僕たちの時間は、そこに流れる風と同じように無限に続くものと思われた。絶え間なく聞こえる鳥の歌声と、上空に横たわるおだやかな雲が、それを保証していた。
僕たちが、例えばあと二、三年歳をとっていれば、基地にはもしもの時のために特別に厳選された成人向け雑誌が置かれただろうと思う。けれど実際には僕たちは十一歳で、女性の裸を想像する以上にやらなければいけない事が無数にあった。僕たちは鳥の飛び方で天気を予想し、草花の匂いで季節を感じる事ができた。空高くに飛行機を見つけては、二人で交代しながら弓矢を構える練習をした。僕は花野君の教えに従い、隣国の騎馬隊の襲来を警戒するため、時々地面にぴったりと耳をつけてその音を聞いた。「騎馬隊が接近してきたら、ドドド……って低い音が聞こえるはずだ」と花野君は言う。「聞き分けられるのは限られた人間だけなんだ」 基地に集まる仲間はいつしか四人、五人と増えていった。僕たちは基地を拠点として、釣りに出かけた。石垣を登る訓練をした。切手を買うためにコインショップに出向いた。魔法で野良犬にされてしまった王女を探した。 とにかくそんな風にして時間は流れた。ずいぶん簡単な言い方だけど、とにかくそんな風にして、僕たちの時間は流れた。
六年生も終わりに近づくと、僕たちは次第に公園に寄らなくなっていった。たぶん、それまで保留とされていた幾つものやっかいな選択が一気に押し寄せる時期だったのだと思う。赤坂のどの交差点にも「次の中から間違っているものを二つ選べ」と書かれているように思えた。ややこしい問題は毎日増え続けていった。たとえば、僕は不器用な恋をしていたのかもしれない。 僕は、小学校を卒業すると同時に、約三年ぶりに関西に戻る事になった。父も母もずいぶん喜んでいた。でも僕はどうすれば良いのかわからなかった。もちろん関西には再会したい友人が何人かいたし、福岡という土地に五十年先まで住んでいるという想定は、僕の中にはないはずだった。けれど実際にそのリミットが半年先、三ヶ月先に迫ってくると、この土地を離れるという決定の不可逆性が、徐々に僕の中に浸透していくのがわかった。一度この町を出たら、僕はもう二度とこの町に入れないのかもしれない、と思った。 その頃の僕にはもう、これはゲームではないんだ、とわかっていた。このラインを超えたらやり直しはきかない。予備の弾もない。1UPキノコもない。一度前へ進んでしまったら戻る事はできない。立ち止まる事さえ難しいかもしれない。そもそも僕は本当に進まなければいけないのだろうか。進む事で初めて見えてくる、今とは違った貴重な物事があるのだろうか。僕が最優先すべきなのは、何に対するかけがえのなさだろう。僕は混乱し、疲れていた。迫り来る様々な出来事を整理する必要があった。
卒業式の日は、ドラマの撮影のために用意されたような見事な快晴だった。練習の時には身に覚えのない歌詞に思われた歌も、実際に本番で皆で声を揃えてみると、メロディに寄り添う深い意味を持っているように感じられた。 僕は式の間、時間を持て余すと体育館の天井を見上げた。この高さで雨漏りのしずくを受け止めるとしたらなかなか難しいだろうなと思った。それから不意に平和台公園に置き去りにされた基地を思い出した。僕たちがそこを訪れなくなってから、何回くらい雨が降っただろう。石器は盗まれていないだろうか。弓矢はまだ使えるだろうか。 式が終わって教室に戻り、担任の先生から話を聞いた。天野先生は、記憶している中では、僕が一番はじめに尊敬した他人だ。他のどの先生よりも格好良かった。人を笑わせるのが上手かったし、人を怒るのが上手かった。先生の言葉のなかで僕が一番気に入った台詞は、「馬鹿なことをする時には真剣にやりなさい」というやつだった。こんなのは小学校の先生が教えるべき科目にはない。けれど理屈抜きに頷き、姿勢を正すべき言葉だ。僕は今でもその教えを守っている。 最後のホームルームは、とても静かだった。天野先生の話し方にはいつもよりも空白の間が多かった。まるでカーテンの揺れが収まるまで次の話題に入るのを待っているみたいに。数人の女子がハンカチを手に持ち、赤い目をしていた。 僕は先生の祝福と別れの言葉に真剣に聞き入っていたはずだけど、今となってみるとその内容をほとんど思い出せない。たぶん気持ちが追いついていなかったのだろうと思う。僕は父親の仕事の都合で、それまでにも何度か引越しを経験していた。でも、こんな風に取り返しのつかない別れを経験するのは始めての事だった。頭の中に誰も立ち入る事のできない空洞ができたみたいだった。
最後の教室を出て、花野君と樋口君と一緒に階段を降りていたとき、急に両目から涙が溢れて動けなくなった。僕は顔を見られたくなくて手で覆った。でも泣き声を押し止める事はどうしてもできなかった。通りがかった何人かの女子が、心配して僕の背中に手を置き、声をかけてくれるのがわかった。ちいさくて温かい手の平だった。 僕はどうして泣かなくてはいけないのか、よりによって階段の踊り場で女子に囲まれて泣かなくてはいけないのか、さっぱりわからなかった。
花束を手に、皆で校舎の前で写真を撮った。きっとどの写真を見ても僕は屈託なく笑っている。そろそろ物事に優先順位をつけなくてはいけない時期だった。僕はその事を強く意識して笑っていたのだ。誰かに説明するつもりもなかった。 花野君は別れ際に、「いつでも戻って来いな」と、彼にしては極めてまともな台詞を言った。どこかで練習してきたのだろう。彼は付け加えるように「たぶん何も変わっとらんよ」と言った。僕はただ黙って頷いた。 花野君の予測は間違っていた。数年後に平和台球場は役目を終えて閉鎖された。突如見つかった遺跡の発掘作業のため、基地があった公園も撤去された。そして僕たちと一緒に漫画を描いていたツカサ君が死んだ。やはり僕たちは、あのとき後戻りできないラインを超えてしまったのだ、と思った。そして、それはやはりどうにもならない選択だったのだろう。選択肢の形をした決定事項の通知、というものが世の中には実にたくさんある。
正しい予測もあった。あれから僕は一度も福岡を訪れていない。象徴的な意味でも文学的な意味でもなく、物理的かつ経済的な意味で。
雨雲が空に重くのしかかる深い夜に、僕は枕をわきにどけて、布団にぴったりと自分の耳をつけてみる。そしてゆっくりと時間をかけて、意識をそこに集中する。目を閉じて余計な情報の入力を遮断する。息を潜めて自分の気配を殺す。じっと心を澄ませる。 するとやがてそれが耳元に聞こえてくる。不吉な振動。彼方に騎馬隊が駆けている。敵だ。まっすぐにこちらに向かっている。その大軍は誰にも統率されていない。動きに秩序がないし、ここまでの距離を走るのに計算された速度でもない。でも、だからこそ僕はその低い音の響きを恐れる。これが夢であればいいのにと思う。それと同時に僕にはわかっている。いや、これは夢じゃない。目を開けて部屋の明かりを点け、好みの音楽を流せば消えてしまうような種類の出来事ではない。敵の大軍は本当にこちらに向かっている。圧倒的な数で。考えられないようなスピードで。
花野君、弓を構えて、と僕は言う。その時が来たのだ。僕たちは守るべきものを守らなくてはいけない。守るべき時には真剣に守りなさい、と天野先生が言う。花野君が自信あり気にニヤリと笑って頷き、弓に矢をつがえる。それを見て僕は恐怖を克服する。何かを恐れるための涙なら、僕は階段の踊り場で全て流し切った。その事に思い至る。だから僕は微笑む。 僕は右手の中の石器を強く握り締める。その硬く親密なぬくもりを信じる。僕たちは樹の上に立ち、基地の存在を信じる。何者も僕たちを傷つける事はできないと信じる。樹上に吹く風の答えを信じる。そこにある可能性を信じる。その先にある未来を信じる。たとえばそんなやり方で、僕たちは前に進む事ができる。
070609:2332
家族は眠ってしまったので、ひとり台所にてキーボードを叩く。またもや、野菜を食べ終えるまで席を立つなと言われた小学生の頃の夜を思い出す。いつの間にかコーヒーを三杯。中途半端な時間なので、特にすることもなく、フィッシュマンズのDVDなんて見ながら過ごしている。
眠れない夜の対処法を僕はいくつか心得ている。その一つに「泥の沼地シリーズ」がある。誰も名付けないから僕が名付けた。たぶん誰にでもできると思うのでここに書いておく。いくつかバリエーションがあるけれど、一番オーソドックスなものを。
まずは部屋の明かりを消し、布団に横になる。横ではなく縦になりたい人は、各自やればよろしい。目を閉じて呼吸のリズムを落とし、複雑で現実的な考え事をしている場合にはそれを一時停止する。そして、自分はいま布団の上ではなく、底の深い泥沼の表面になんとか漂っているのだと思い込む。必然的に僕たちは身体の重心を分散する。そうしないと一気に沈み込んでしまうし、一気に沈み込んでしまうと僕たちは二度と抜け出せないから。
僕たちの身体の下にあるのは底なしの泥沼なのだから、もちろん怖い。皆は忘れているけれど、本質的に眠りとは危険なものなのだ。しかしながら、やがて二分もすると、どのように筋肉を使えば(もしくは使わなければ)泥の表面上にバランスよく身体を広げていられるかがなんとなくわかってくる。そしてゆっくりと恐怖が薄らいでいく。 けれど、もちろん、まだ寝返りを打ったりはしない。今のところ、僕たちは沼地の性質についてほとんど知らないのだ。僕たちはまだ、その表面的な部分となんとか折り合いをつける事ができたに過ぎない。ほんの少し気持ちの置き場所を変えただけで、僕たちの身体は無慈悲にその内部に引きずり込まれてしまうのかもしれない。 だから僕たちは待たなくてはいけない。だからあなたは待たなくてはいけない。やがて眠りが訪れるまで待たなくてはいけない。やがて眠りが訪れるまで。やがて眠りが訪れる。
071021:2244
隣の部屋から断続的に聞こえる幼児向け番組の明るい声と、誰かが枕元に歩み寄る気配で目が覚めた。ぼんやりとした視界の隅に妻が座っている。ちょうど携帯電話をこちらに向けて、その画面を僕に見せようとしてくれている所だった。「岡久君のお母さんから」と彼女は言った。僕はまだ思考が安定しない事を表情で示し、彼女の手から携帯電話を受け取ってその内容を確認した。隣の部屋で跳ねていた子供が走りよって来て布団に潜り込み、「父さんが起きた」と叫んでけたけたと笑った。もしかしたら「倒産が起きた」と言ったのかもしれないけれど、普通、人はそうした事では笑わない。
家族は皆朝食を食べ終えていたので、妻が洗濯物を広げている間に、僕は自分のためにハムエッグを焼き、二杯分のコーヒーを煎れた。卵を焼いている間、細切れに中学生の頃の風景を思い出した。そこには脈略はなく、音声も色もなかった。記憶の断片が不意にビーカーの中で舞っただけだ。振り返ると、用事を終えた妻が台所の椅子に腰を下ろし、広告を見ていた。
「うちの実家の猫は、中学生の頃にもらってきたんだ」と僕は皿とマグカップを手にして机を回りながら言った。それから引いた椅子に腰を下ろし、次の言葉を探した。やや遅れて妻は「知ってる」と小さく声に出して頷く。弱く微笑む。寝不足で少し疲れているみたいだ。けれど話の続きを待っている。僕は視線を目の前のマグカップに移し、その茶色い魔法の液体が縁取る円形を追いながら次の言葉を並べた。 「……動物病院の娘のナカタさんって知ってる? 彼女が拾って来たんだ。でも彼女、小さな頃から動物病院で育ったくせに自分は猫アレルギーで、それで引き取って欲しいって僕に頼んで来た。冗談みたいな話」と僕は言い、彼女が微笑むより早く笑顔を浮かべた。もちろん彼女はその事実も知っている。ハムエッグの卵はひとつが割れていて、ひとつが割れずに残っていた。フェイルセーフというよりはフォールトトレラント。
食器を洗い、子供達を寝かしつけて、昼過ぎから図書館に向かった。その時刻と方角のせいで、走っている間はずっと逆光でまぶしかった。信号で停車した間に辺りを見回すと、花屋とバイク店の軒先は何かの祝福を受けたかのように空気が輝いていた。これと同じような景色を僕は以前見た事がある、とふと感じた。信号が青に変われば、それ以上は探らない。
図書館の前には、隣接するホールでの催しのためか幼い子供が大勢いて、坂道を走り回ったり、わざと変な格好で自転車に乗ったりして遊んでいた。僕は、原付を運転している間に思いのほか冷えた自分の身体に気づき、足早に館内に向かった。受付には初めて見かける利発そうな女性が座っていた。綺麗な目をしていて、誰かに問われたら即座に素因数分解の定義を口に出せそうな鋭さを感じる。横切るまでの数歩目をやった限り、仕事ぶりも滑らかで丁寧なものに思えた。僕はニュートンの新刊とアサヒカメラと数冊の専門書を抱えて、ゆっくりと階段を上がり自習室に向かった。 入り口から一番近い座席にノートを広げて、自宅から持って来た鞄の中の本も取り出す。扉の開閉が気になったのですぐにヘッドフォンを着けた。一番新しいくるりのアルバムが最初から流れ始めて、僕は徐々にケプラーやデカルトやライプニッツの世界に身を浸していった。
午後四時半を回った頃に本を閉じ、席を立った。不思議な感じがした。まるで意図的にそれまでずっと息をひそめていたみたいだ。僕がそこに二時間以上座っていた事に、世界中の誰も気がつかなかったかのような感覚。僕はノートとボールペンを鞄にしまい、やり残した事を確認するみたいにもう一度館内を歩き回ってから、カウンターを過ぎ、出口をまたいだ。陽の光はさっきよりも穏やかに、世界を斜めに照らしていた。
優しい照り返しに包まれながら原付のハンドルを握っている間、母親からのメールにあった文章を僕は思い出した。実家の猫についての短い知らせだ。「老衰ではなく、顎のガンだとわかりました」と彼女は書いていた。「心臓が強い子なので、早めに気づいて手術していればまだ何年も生きられたはずです、残念ですが。とお医者さんは言っていました。余命一ヶ月との事」 僕は自分の意識がどこに向いているかを意識しようとする。リカーシブコール。何かの警告が頭の奥で鳴り響いているように感じられる。「限りなく細分割したものを積み上げて曲線の面積を求めようとする考え方が、積分学の基礎となります」とそこに文字列は並ぶ。やはり音は無い。そこには空気がない。いつもの通りの道順でダイエーの前を右折した直後、唐突に視界が濁ったので慌ててブレーキをかけ、原付を歩道に寄せた。泣いている場合じゃないんだけどな、と僕は思った。
玄関を開けると同時に、風呂場からくぐもった二歳児の歌声が聞こえて来た。ミッフィーの主題歌かカタツムリの童謡か、もしくは彼女のオリジナル曲だ。台所にはハンバーグの用意ができていて、几帳面に切りそろえられた野菜が並ぶ。すぐに風呂場の扉が開いて上の子供が飛び出してきた。「拭いてあげて」とまだ入浴している妻の楽しげな声が響いた。 「お父さんはどこに行っていたの」とアカネが僕に問う。僕は「図書館」と短く返事をする。彼女は言葉が通じた事に満足げな表情を浮かべ、「次はどこ行くの」と重ねて質問した。僕はタオルで彼女の髪を撫でながら、「来週は実家。猫を見に行こう」と返事をする。彼女はまた嬉しそうな顔をして、その場で二回ジャンプをした。背中に羽が生えていると勘違いしている可能性がある。 「もうすぐ死ぬんだ」と僕は言った。アカネは微笑みを浮かべたまま、カーペットに座り込んで自分で服を着始めた。それから頼りない声で「死ぬと何になるの」と質問をする。僕はそれには返事をせずに、台所のテーブル上に並べられた、火を通せば完成するハンバーグの一群を指差して「偉大なるシェフを待つべし」と答えて微笑んだ。
死ぬと記憶になるんだ、とその夜僕は誰かに向かって言う。そしてどこかの砂浜の輪郭みたいに、徐々に削られ、忘れられていく。その顔も、声も、体温も。けれど、やがて波がすべての砂粒をさらってしまうまでは、僕たちはそれをとどめておく事ができる。大げさな行為なんて必要ない。僕たちは時々、波打ち際まで歩いていって、その風景をただ心に焼き付けさえすればいい。リカーシブコールを利用するのだ。楽観的かもしれないけれど、僕にはそれができると信じている。
僕がユキを引き取ったのは中学一年生の頃だ。彼にとって、我が家に来て最初の体験は、母の日のプレゼントとして無理矢理小さな箱に入ってもらった事だ。本人はその件についてまだ怒っているかもしれない。来週謝りにいこう。彼がこの世を去る前に。僕が30歳を迎える前に。
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