090223:2155

月曜日。さすがに昨日のあの映像のあとで、昼食に牛丼を食べる気にはならず、背後に人を寄り付かせない気迫をみなぎらせながらワイルドにうどんを食した。800円。

帰宅してわりと長いメールを三通書いて、写真を整理。歯磨きをして22時に就寝予定。世界のホルスタインにおやすみなさい。


090223:0039

日曜の夕方からはtalkhell。いつもの顔ぶれの他に、初めてお話をする方が三人もおられたのだけど、入れ替わり立ち代わりになかなか楽しくヘンテコなひととき。

村上君の発案で、電気を落とした室内で生命のたべかたという映像を通して見る、という、集まる人によっては非常にきわどい方向性に向かう可能性のある集いだったのだけど、結構楽しめた。

あまり教訓めいた所のない、単に風景を切り取っただけのような教科書の方が、結果的に心の奥深いところに何かが残るのかもしれない。たとえば森の奥で見つけた片方だけの長靴みたいに。


090222:1802

昨日は梅を見に、以前住んでいた中山寺まで。電車で二駅だけど、通勤は逆の方角なので、向かいのホームに立つだけでも懐かしい気分になる。ホームから電車に乗った奥様は「さすが9000系って感じね」と嬉しそうに言っていた。そうですか。

梅林のふもとの食堂でうどんとおにぎりと団子を食べ、子供たちに水笛を買って帰宅。朝から夜までピーヒョロ聞こえる。

本日は僕の両親がうちを訪れ、皆で昼食にコロッケを食べた。実家のベランダに置いてあった物置をどかしたところ、サンバを踊るにはやや多すぎる個体数のてんとう虫の群れが発見されたらしい。「……それで、そのてんとう虫、どうしたの?」と尋ねると、「どうしても動かんやつは、『ごめんやけど』言うてガムテープにくっつけたんやわ」との事。物語はそれで終わりらしい。


090220:0121

昔から一貫して、考えを読まれるのが好きではない。誰だってそうだと思うけれど、僕はたぶん他の人よりも敏感にそれを意識しているように思う。

たとえば、風邪をひいた身体で風邪薬を買いに行きたくない。店員さんに、「ああ、この人は風邪でしんどくて我慢できなくなって風邪薬を買いにきたのだな」と心理状態を見破られたくないのである。一体なぜであるか。なぜ今夜はこんなにも軍人ぽい口調であるか。それは、僕という人間がだいたいの場面において、人の期待を裏切りたいからである。人の考える逆の発想を心に秘めていたいのに、それが意に反して相手に漏れ伝わることが嫌いなのだ。

よくわからない写真を撮る。「なぜこんな風景を?」と問われても、意味ありげににやにやと笑ってかわし、実際のところ撮った時には何も考えていなかったりする。いやぁ何も考えていないんだけどね、と答えるところまで想定して写真を撮ることもあるけれど、それはつまり、十分に色々な事を考えた結果であるとも言える。

ところで、妖怪サトリが対面すると何が起きるのであろうか。


090218:0042

当然のごとく『シャンブル』購入。コンパクトディスクでアルバムを購入するなんていつぶりだか思い出せないけれど。とにかく時間の許す限り聞き続けている。言葉で言える事はなにもない。

ITmediaの記事で村上春樹のスピーチの事を知り、YouTubeで様子を見て考え込んでしまった。世の中には実にいろんな戦いと、戦い方がある。


090214:2357

Lumix FX37を奥様用に買ってから一週間くらい過ぎたけれど、今更ながら良い買い物をした印象。本体と8GBのSDHCメモリカードで2万5千円くらい。メモリ関連製品は今年は軒並み値上がりしそうだという噂を耳にするけれど、確かに今の市場価格は安すぎる。いいかい、父さんが最初に親に買ってもらったPC-9821なんて、メインメモリ16MBで、操作するたびにうっとうしいハチが画面中をぶんぶん飛びまわる、それはそれは素敵な……。

という短い文章を書くために「canbee」で検索すると、ヌード撮影会のお知らせがトップにヒットして、父さんは初恋の淡い記憶にも似た非常に複雑な気分になった。


090214:1520

8時間眠った。10時前に起きて、家族でホームセンターへ。ゴミをまとめておく大きなゴミ箱が買いたかったのだ。中くらいのサイズで45リットルのものがあったので、購入。僕は昨日、高めの本を2冊買って9000円くらい使ったので、既に財布の中にほとんどお金がない。

店先に、プランターに刺す標識のようなものがあったので、「こういうの買って、何か書いておく?」と尋ねると、非常におどろおどろしい声で「……『ウェルカム』、とか?」と返事があった。ものすごく気分が悪いのだろうか、とやや遠巻きに心配していると、しばらくして「岡久君がやってるバイオハザードの武器屋さんのモノマネです」と説明があった。そう、それは良かった。


090213:0041

ちょうど引越をした頃に、村上夫妻から頂いた観賞植物が、そろそろ枯れてきたので土に帰すことに。「これ本当に土に帰るの?」、「そもそもこういうのって、土に帰すもの?」と、僕と娘の疑問な視線を受けつつ、奥様は真面目に玄関先の地面に植えた模様。どう見ても砂風呂である。ビロードのうさぎみたいな切ない気分がいまいち盛り上がらない。


090211:2236

先週の始めになってようやく、去年の暮れに植えたチューリップが芽を出した。僕は植物を育てる事にそれほど関心はないと思っていたけれど、こうして育ったのを見るとそれなりに楽しい。

予定のない休日だったので、家族四人、車でニトリに行った。店内をぶらついているうちに気を引かれる家具でも見つかるかと思って、てくてくと歩き回った。結局、娘の発案に従い、トイレ用に傾けるたびに照明の変わる小さくて変な液晶時計を買った。変である。

なぜか今頃、家の中でiChatのビデオ会議が流行っている。奥様は基本的に映りたがらないので、子供から彼女に向けてビデオ会議をコールすると、モニタの向こうで非常に簡単な人形劇が始まる。僕だったらきっと、モニタに映るよりも人形劇を演じる方が恥ずかしいけれど。


090211:0045

調子に乗って部屋でお香を焚きすぎた。煙たい。

常々言っているけれど、僕は本の帯がキライである。単行本だろうが文庫本だろうが、本を購入してまず始めにするのは、帯を捨てる事。あと、一冊の本だけを集中的に読むような期間には、ページの間に挟まっているしおりや、小さな広告紙も最初に捨てる。みんなあんまり試そうともしないみたいだけど、少なくとも複数の本を同時並行的に読むというのでもなければ、しおりって不要だと思う。

つみきのいえという映像作品が海外で高い評価を受けた、という話はなんとなく見聞きしていたのだけど、書店に立ち寄って絵本コーナーをぶらぶらと歩いていると、それの絵本版が発売されているのが目についた。僕は、今のところこの作品の中身を知らないし、買う予定もない。ただ、Webか何かで得た情報から、断片的な物語のあらすじは身につけていた。それで少し気になって手に取ろうかと思ったのだけど、絵本に巻かれた太い帯の品の無さに唖然としてしまった。

「米国XXX受賞!」だか「ノミネート!」だかの文字が大きく書かれたその帯で、表紙の下部4分の1くらいに広がる海面のイラストが完全に覆い隠されているのだ。意味がわからない。いったいどこまで無神経な人がデザインを担当したら、こんな帯にゴーサインが出るのだ。物語を伝えたいのか絵本の評判を伝えたいのか。

思わず平積みされたすべての絵本から帯をはぎとって脱兎のごとく逃走してやろうかと考えたけれど、犯行場所に残る特徴的なお香の匂いですぐに僕は突き止められてしまうだろうから止めた。


090207:2241

土曜日恒例の歯医者の後、近くの西友に寄って雑多なものを買った。ふと目についたお香も買った。

大学の頃に付き合っていた彼女が、僕のような平均的な人間とは似つかわしくないずいぶん特徴的な人で、アフリカ音楽とお香が好きだった。おかげで、なのかどうなのか判断しかねるけれど、彼女の一人暮らしの部屋に空き巣に入られた時にも、家電や金目のものは無惨に盗まれたにも関わらず、大量の民族音楽のCDはすべて手つかずで残った。

結婚して以来、犬と同居している事もあって香りのきついものは遠慮していたのだけど、よく考えてみると、僕に与えられた自室には犬は来られない(階段を上ることはできるけれど足の短さゆえに降りられないため、奥様から犬に対して、二階侵入禁止令が発令された)。というわけで気兼ねなくお香を焚く事にした。この安らかな香りに包まれながら、時折アイロンから吹き出るスチームの音に耳を澄ませてシャツを整えている時間に、ささやかな豊かさを感じられる。

何通かのお便りありがとうございます。明日中に返信します。


090207:0245

人は常に過去の己を超えていかなければならない、ある意味では、過去の自分自身を裏切っていかなければならない、との強い思いから、今日は携帯電話で誰かと会話しているフリをしながら紀伊国屋に立ち寄ってみた。しかし、二分もすると非生産的な空気が敏感に察知されたので、圏外になったというシナリオで胸元のポケットに携帯電話をしまった。

そういえば僕は一時期、「胸元の」というフレーズを耳にするたび、源義経が浮かんだ。

サイモン・シンの「ビッグバン」がいつの間にか改題して文庫になっていたのだけど、今は小説を読んでいるので買わなかった。来週あたりで、いよいよ奥様のカメラを新調する予定。


090206:0051

昼下がりのオフィス街で、たとえば携帯電話で話をしながら歩行するサラリーマンとすれ違った時、僕は「彼のあの喋りは演技なんじゃないか」と考える事にしている。つまり、電話の向こうに誰かがいるという設定で携帯電話を口元に当て、擬態し、僕のように道ですれ違った者を巧みにだましているわけだ。

なぜそんな阿呆な真似をする必要があるのか、と女たちは僕に問いかけるだろう。君は根本的に暇なんじゃないか、ときっと貴方も問うだろう。でも、残念な事にその疑問に解はない。あのネクタイの歪んだサラリーマンにとって、電話の向こうの話し相手という存在が不定であるのと同様、僕に対する確信をつく本質的な質問に対する解は、不定である。

といったような事を頭の中で考えながら、あまり空腹ではないお昼時にぼんやりと紀伊国屋の入り口を過ぎ、ナショナル・ジオグラフィック誌のバックナンバーが陳列された辺りを歩いていたところ、命の次の次の次に大切にしていたヘッドフォンのイヤーパッドが片耳分なくなっている事に気づいた。
 寂れた公園の滑り台みたいに肩を落とし、仕方が無いので近くの鳥屋で昼食をとった。食後、再び紀伊国屋に立ち寄って、絵本を何冊か立ち読みしてから店のドアをまたぐと、入り口のところに見覚えのあるイヤーパッドが落ちていた。「神様」と僕はつぶやいた。唐突に「神のこどもたちはみな踊る」風に。


090203:2300

ユニコーンのシングルを買うために、いつもの駅よりも一駅早めに降りてHMVへ寄った。16年ぶりの新譜。勢いあまって5枚くらい買おうかと思ったけれど、財布の中に1800円しかなかった。特典DVDつきのCDが1400円、残りを慈善団体に寄付することを考慮して、残念ながら1枚しか買えなかった。

節分だったので、奥様と子供たちが近所の寺で豆まきをしてきたらしい。娘は8つ、息子は3つ、小さな豆の袋をもらってきた。「で、鬼はいたの?」と奥様に尋ねると、「鬼はいたけれど、今年は市長さんとか来なかったみたい」と返事があった。果たしてそうだろうか、と僕は思った。


090202:0107

ここのところ、毎週土曜日は冬将軍の傍らを通り抜けて歯医者。帰りに近くの図書館へ寄り、家には置けないような文学全集なんかをソファに腰掛けて読むのが楽しい。
 図書館のソファに腰掛けている人は、みんな気持ちをその場から離脱させたような表情で、一心に本に目を落としているから素晴らしい。ソファに腰掛けたままの姿勢で、ある人は何世紀も前の中東へ旅立ち、またある人は行灯のこちらから闇に沈む城を眺めている。別の人は学生時代のどうしようもなく不器用な恋愛にその身を重ね、その隣には、ついに成功した火星への有人航行船に乗り合わせた英雄がいる。それでも皆、こうして同じソファに腰掛けている。

日曜日は、できる事なら六甲山の氷の祭典に行きたかったのだけど、二歳の息子が風邪にやられていたのでキャンセル。「俺の事はいいから……、皆は行ってくれ。げほっ」みたいな台詞を言うかと思って朝からしばらく眺めてみたのだけど、言わなかった。そもそもまだほとんど辻褄の合う会話なんてできないのだ。「ミナトは……、ぜんぶ食べたの……、かな?」と可愛らしい表情で言葉を並べるので、「……あの、一人で行ってきてもいい?」と尋ねたところ、無視された。


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