どういった理屈でこうした仕組みが成立しているのかよくわからないけれど、振り返ってみるとちょうど一年に一人ずつくらいの割合で、その後の人生を左右する……、は言い過ぎだとしても、僕の生き方にちょっとした示唆を与える人に出会う。あるいは、再会する。

 僕の意識が彼や彼女にひっかかるポイントは、その特異な考え方や言葉の選び方であったり、物事への取り組み方であったり、場合によってはほんの一瞬に見せる印象的な表情や仕草であったりする。
 意識が「ひっかかる」からには、そこにはきっと他とは違った「平坦ではない部位」がある。けれども、それは聞き馴染みのある音楽が予定通りに転調したときのようなわかりやすい印ではない。その本質に触れるには、無造作に廊下に並べられたアラン・ロングミュアーの中から、たった一体のデレク・ロングミュアーを探し出すような繊細さが必要なのだ。

 オードリー・ヘプバーンの歌う古い曲を聞きながら、なぜこんなわけのわからないテキストを書いているのだろうと自問する。案外、ジョニー・マーサーも似たような気持ちで『ムーン・リバー』を書いていたりして。

 ふとしたきっかけで宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を買い直した。自室の本棚を探せばきっと同じ文庫が星新一と森博嗣の間あたりに眠っているのだろうけれど、いかんせんちゃんと読み通した記憶がない。

 おぼろげに僕の記憶にあった『銀河鉄道の夜』のあらすじは、いつも陰湿ないじめに遭っていた内気な少年が偶然出会った空手の達人に武術を学び、トーナメントで不良グループのボスを打ちのめすまでを描いた青春活劇だったはずだけれど、秋の夜長にコーヒーを飲みながら丁寧に頁を読み進めてみたそこには、記憶の中にあったものとはまた違った趣の物語が描かれていた。外伝だろうか。
 ほんとうの幸せについて思いを巡らせる姿勢や、物語終盤の張り詰めた緊張感については似ている部分もあるけれど、一方にはもっと静謐で、くだらない冗談の通じない雰囲気が感じられた。

 主人公が駈け出すところまで読み終えた僕は、その時になってようやく、小学六年生の頃に同書を読んで読書感想文を書いたことを思い出した。何を書いたかは思い出せないけれど、何を書かなければならなかったかはわかる。今では。

 火曜日の午前十時を回った頃。窓側の座席であればどこでもコンセントが使えるものだと思い込んでいた僕は、ずいぶん長い時間、遠藤周作も呆れるくらいに沈黙した黒い画面をぼんやりと眺めていた。
 窓越しにはどこまでも田園と曇天が広がっている。暇つぶしに赤い屋根を数えようと目線を走らせるたび、川端康成も匙を投げるほどの長くて暗いトンネルが訪れて、全てが振り出しに戻る。先ほど注文したアイスコーヒーの透明なカップと同様に、僕の心は本来の居場所を失ったまま静かに揺れていた。

 乗車券の確認が終わったあたりでヘッドフォンをつけ、再生ボタンをタップするとドアーズが演奏を始めた。現状を表現するにはそれなりにマッチしているように思えたけれど、こんなのを聞きながら上京したらろくな死に方をしない気がしたので、あらためてスライ&ザ・ファミリーストーンを選びなおした。魂の深部から心を震わせるようなリズムが響いてきても踊り出さずに済んだのは、ここが新幹線の車内であり、僕が一般常識を備えた紳士だからだろう。

 昨日は何ヶ月かぶりに、自分の血液を見た。あれほどしっかりと色のついた液体が、今も自分の体を流れているとは信じがたいものがある。人間ドックとムカデ人間の類似性を説明されたときの息子が、ちょうどその時の僕と似た大きさの驚きを受けたであろうと推察される。

 県境の長いトンネルを抜けると、相変わらず田園と曇天が広がっていた。音楽はいつしかビリー・ホリデイに移り、カップの中にあった氷はひっそりとただの水に戻っていた。数えることのできた赤い屋根は七つ。

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