20時に開始した仕事が午前2時29分に終わった。記憶している限りでは、その6時間半(6時間半!)ほどの間に2回しか呼吸しなかったから、相当集中していたのだと思う。もしくは、呼吸という行為をいちいち記憶しなかったというより現実的な可能性も考慮に入れてもいいかもしれない。という割とどうでもいい思考が頭に浮かぶほど疲れた。意識が朦朧としているため朦朧という字の書き順を想像するだけで胸が苦しくなり、改行さえせずに眠りにつく。

Mac OS X Lionになって以降、ログイン画面下部に好きなメッセージを表示できる事を知ったので、非常に強固なセキュリティを構築することにした。
……とか適当な事をして遊んでいるように見えるけれど、未だにわけのわからない忙しさは継続中。声が戻ったと思われた息子は、今日はまたほとんど喋る事ができない様子で、アンパンマンの文字板のようなもの(ひらがなの「あ」から「ん」までボタンが並んでいる)を使って近くの人間との会話を試みている。
スイッチを入れるたびに「……ぼく、アンパンマン。いっしょに『あいうえお』しようよ!」と自動音声が流れる。息子はその台詞を聞き届けると、続けてしずかに「み……な…………と…」と入力する。自分はアンパンマンではない、と言いたいらしい。
濁点や小文字の「やゆよ」がないため、話し始めるときに言葉を組み替える必要があるらしく、なかなか興味深い。
病のせいで性格が荒れてしまったかと心配していたら、「ちゃん」が打てないので犬を呼び捨てにしていただけだった。もし僕がこの知育玩具の企画に関わっていたなら、せめてアンパンマンの「パ」だけは打てるようにしたと思う。
十四時間眠って目が覚めたら、息子の声が戻っていた。
一昨日の夜から湊が四十度の熱を出して、それ以来喉が枯れて喋れない様子だったのだ。彼は感情的なダメージにはひどく繊細なのに、物理的なダメージにはほとんど表情を曇らせることがない不思議な人間である。
高熱を抱えていても、まるで苦しそうな表情を見せない。けれどいつもより少し顔がむくみ、まぶたが大げさな二重になる事から、注意深く接していれば正常でないことが看て取れる。
言動は明らかにおかしくなる。土曜日に、ほとんど聞き取れないようなかすれ声で「今日は木曜日だよ」と断言したり、話しかけてもずっと虚空(極右ではない)を見つめたり、冗談でなく異常行動みたいな素振りも示すので、さすがに何年も一緒に暮らしている人間にはすぐに病気だとわかるんだけど。
そんな息子の声が、日曜の朝に戻っていた。喉に違和感が残っているのか、声に出すのは本当に声に出す必要のある短い文章のみ、と自分で制限しているようだ。
枕元で「昨日とその前の日と、すごく熱が高かったの、知ってる?」とちいさな声で尋ねてみると、やや間があって、「知っていない」と微かな返事があった。やや極右っぽいけれどとても正確な返事だ。
ところで、冒頭で十四時間眠って起きたのは、湊ではなく僕である。
二週間ほど前から本格的に取り組んでいた仕事が山場を迎え、久しぶりに『あなたにもデキる! 冬から始める四時間睡眠ダイエット2』状態に陥り、木曜から土曜日にかけてはついに電車の中でもコードを書く状態だった。土曜日は、申し訳ないけれど看病を奥様にまかせ、Macを抱えて現場へ向かった。
お客さんの都合で、現場での作業は午後八時までと制限が告げられていたところ、なにかのきっかけで一時間前倒しになった。「……あらら、前倒しのせいで僕の身体が後ろ倒しになりそう」と思ったけれど声には出さなかった。声に出すのは本当に声に出す必要のある短い文章のみ、と自分で制限していたから。
というわけで、とりあえずプログラムは期待通り動くには動いたけれど、解釈の難しい結果も得られたので、現象を調べる。
ゆっくり眠って十時過ぎに起床。
昼食を終えてコーヒー豆を買いに行ったら、お金を払うときに「明日がちょうど十六日なので、明日買われた方がお得ですけれど」と教えてくれた。なんて優しくて気が利いてタイミングが悪いんだろう、と思った。
おやつの時間に帰宅すると、息子に「電波って本当にあるの?」と尋ねられた。近頃家のテレビの映りが良くないため、日常会話の中で「電波」という単語を覚えたのだ。
「あるよ。目に見えないけど」と返事をすると「本当に? ……イギリスにも?」と重ねて質問があった。あると思う。推測でしかないけれど、たぶん。
二時過ぎに眠って九時くらいに起きた。ここのところ週末はだいたいこんな感覚で、平日はというと、起床時間が二時間少々前倒しになるだけ。去年はだいたい午後八時か九時に眠って三時に目を覚ます生活だったから、ずいぶん普通のパターンになってしまった。
以前から気になっていたことをWikipediaに当たってみた。世界ふれあい街歩きって、現地語での会話は切り貼りして
編集しているのか。まさかスタッフが紙芝居で会話しているわけでもないだろうと想像していたけれど、別収録の音と乗せかえているなんて考えもしなかった。なるほどなぁ。
人員不足のため、唐突にお呼びがかかっていつもと異なる現場へ出勤。午後には離脱して本町へ向かう予定だったのだけど、次々と想定外の出来事が起きて到底不可能になった。
結局、昼食をとることができたのは午後21時。タイプミスかと思うくらい意味がわからない。しかしながら、朝から目の前の画面に集中しすぎていたせいで、目の疲れにも指の疲れにも20時くらいまでほとんど気づかなかった。時間との勝負を終えた人は、勝っても負けても疲労感を得るのだと知る。
なぜこの時期になって突然三つの作業が重なるのかよくわからないけれど、こういう時には大抵一番軽そうな案件に罠が潜んでいたり、いかにも怪しい案件に罠が潜んでいたり、取り立てて難しくも簡単でもなさそうな平凡な案件に罠が潜んでいたりするので、結局どれを選んでも罠だらけなんだろうと思う。
つい先日まで、そろそろ部屋の額縁の写真を変えたいなと思っていたのに、もはや部屋の内装がすべてピンクに染められていても構わないくらい自室にいる時間が極端に減ってきた。
もしほんとうに仕事に波というものがあるとしたら、僕はまずシュノーケリングを覚えるべきだろうと思う。
火曜日は23時過ぎに帰宅し、わりとはっきりとした口調で念仏を唱えながら就寝。五分ほど横になったかと思って目を開けたら朝だった。生まれる時代が違えば、時間の伸縮を発見したのは僕だったかもしれない。
先週の中頃のこと。
秋が深まって太陽の光が弱まりはじめると、まるで瘡蓋(かさぶた)のように人々の目からまぶたが落ちて、季節が流れて春が訪れるまで、人間はみんな眠るときにも目を開いたまま過ごす、というわけのわからない夢をみた。
僕がその昼の短い世界で感じたのは、「目はさまざまな表情を形づくる中心に思えるけれど、それが開き続けているというのもまた、かえって表情を失うことになるんだな」という感覚だった。たぶんこんな事を考えたのも、頭の片隅でTwitterのことを考えていたからだ。
結局、昨日は二十四時間ほど活動して午前二時くらいに就寝。
昼食時に子供がクレヨンとクレパスの違いについて奥様に質問をし、「手の汚れやすさと描きやすさが違います」という的確な回答を得ていた。製品の科学的特質に着目したじつにシンプルな見解だ。
テキストエディタの見た目にやや飽きてきたので、最近のトピックを検索して、
Rictyというフォントを導入した。丸々と可愛らしく、ちいさな文字サイズでも日本語が判読しやすい。仕事場でも使いたくなった。
昨日は午前二時過ぎに目を覚まし、そのまま布団の中で一時間くらいぼうっとしていた。考え事をしていたのではなく、せっかく静かなので何か考え事をしようと考えていただけで一時間ほど経過したという表現が実情に近い。
布団から出てコーヒーを淹れ、サイトを更新してから二時間くらいギターを練習した。ストーブで温まるまで、二階の自室はシベリアかと思うほど寒かったけれど、よく考えたらシベリアなんて足を運んだことはない。僕はいずれ何十年か先にシベリアの地を訪れたときに、「……こりゃまるで自室だ」と感じるのだろうか。切ない。
アコースティックギターを買って以来、エレキギターばかり手に取っている。
四つか五つの同じフレーズばかり繰り返していると、「上手い/下手」という自分なりの評価を通り越して、「飽きた/さすがに飽きた/そしてコーヒー冷めた」という別軸の思考がゆっくりと頭の隅から広がっていくのがわかる。経験則によれば、そういった時にはたいていコーヒーが冷めている。

土曜日は、家から五分ほどの距離にある中学校で凧揚げ大会。
近所の家族が連れ立って、年末年始を語らいながら大空に舞う凧を楽しむ和やかな会を想像していたのだけど、実際には名前の示す通り、大会であった。時間帯が三グループに分けられていたり、一応の賞品が用意されていたり。
とはいっても、実演前にボディチェックや薬物反応の検査までは行われなかった。国籍や職業も尋ねられなかったし、指紋の採取もパスできた。それなりにアットホームなものといえる。
奥様と茜、僕と湊でペアを組んで、第一グループと第二グループにわかれて十五分ずつの競技を行った。彼女たちの凧は、高さはそれほどでもないけれど長時間安定した様子で、僕たちの凧は、五分ほどの短い間ではあったけれど笑ってしまうくらい高くあがった。
日が陰るたびに呪詛を吐くほど寒かったので、休憩中には参加者全員にふるまわれるぜんざいを食べることにした。餅が嫌いなうえにあんこが苦手な湊は、それと知らず口にいれた途端、加藤氏と共演されていた頃の志村氏のように、表情をなくしたままゆっくりと口からこぼしていた。
そういえば五年くらい前、凧揚げがしたい凧揚げがしたいとPodcastで騒いでいたことを、杉尾さんに指摘された。ようゆく成就させた僕は、また来年も参加しようと密かに誓う。
さまざまな地域に転校した僕だけど、幼少期に乾布摩擦をした記憶がない。真似事みたいなのはしたかもしれないけれど、「学校で毎日決められた時間に」みたいな様式では経験していないように思う。
1990年とかその辺りでは、全国的にもう廃れ始めていたんだろうか。Wikipediaによれば、乾布摩擦のことを寒風摩擦と勘違いする人は多いらしい。僕レベルの、いわば人より一段高い教育を受けた人間になってくると、どうしても完負魔殺という漢字が浮かんで、師匠とともに修行に明け暮れたあの森で過ごした日々を回想してしまうけれど。
今日は後輩N嬢、K嬢、二月までプロジェクトにレンタル移籍してきたN君の三名と昼食を摂ることになった。しかしながら三人とも食べたいものが思い浮かばないと言う。仕方がないので、僕に馴染みのある行きつけの店へ行くことになった。
本日の
Cafe de 10番も昨日と同じように繁盛していた。「ここ、気になってたんですよ」と口を揃える女性たちに、「味は良いんだけどさ、ちょっと待たされるかもしれないよ」と完全に常連の口調で述べていたら、昨日の半分くらいの時間でお皿が並んだ。昨日のサンドウィッチよりも今日のスパゲッティの方が早く出て来た。わかっている。料理の難易度が桁違いだから、比べても仕方がない。
たぶん、同じ経験をしたゲーテとかが「昨日のサンドウィッチよりも今日のスパゲッティ」とか意味深にメモを書き残していたら、どうでもいい人たちに好き勝手に拡大解釈されて、後世まで評論本が刷られるんだと思う。
「2012年はびっくりするくらいギターを練習する」と年の瀬に誓った僕だけど、びっくりするくらい忙しくて昨日も今日も触れなかった。
このまま2012年の年の瀬を迎えたら、きっと僕を含めた誰もがより一層びっくりできるのだろうけれど、僕はいわゆる泣きのギターを習得する志なのであって、ギターを廃品回収的に泣かせたいわけではないので、明日にはまた手にとろうと思う。
ところで、鍵盤ではじめて音楽に入った人(妙に偉そうな表現だけど、一応僕みたいなのでもこっち側だ)は、やっぱり最初のうちは弦楽器の取り扱いってよくわからないのではなかろうか。フレットを見下ろしていざ弾こうと思っても、目的の音を探すためのヒントが少ないように感じられて。
ピアノであれば、どの領域に目を向けてもたえず黒鍵と白鍵が同じ姿勢で取っ組み合いしているので、いともたやすく「いつもより二オクターブくらい高そうなラ」を探せるけれど、たとえば人気の無い路地裏で、ひどい身なりのしかし目つきだけは鋭い二人組に短銃を突きつけられて、「ギターでいつもより二オクターブくらい高いラはどこだ。なんとなくでいいから」と尋ねられても、「ちょっと時間をください。時間があればわかるから」と弁明せざるを得ないと感じる。
たぶん、そういった生真面目な感覚で覚えていく楽器ではないんだろうな、と想像するわけですが。

久しぶりに作業場のA君と昼食。二人とも、お弁当だったりコンビニで買って来たりが多くて、あまり揃って外へ出る機会がないのだ。
「男二人で行くのも微妙な、ちょっとかわいい店なんですけど」と、少し歩いたところにある
Cafe de 10番へ案内してくれた。店員さんはみんな若々しくて、内装は洒落ている。
「牡蠣のスパゲッティが食べたい」と言う僕の希望にゆっくりと頷いた彼は、あえてそのはっきりと具現化された意思に耳を塞ぎ、彼のお勧めであるところのホットサンドウィッチを注文してくれた。なんて気が利くんだろう。
正午過ぎに訪れたものだから、お客さんが多すぎて落ち着ける雰囲気ではなかったし、注文が出てくるのにも結構な時間がかかったけれど、繁盛するだけあってなかなか美味しかった。ところで僕は牡蠣のスパゲッティが食べたい。
この風がやんだとき、僕はまだ走り続けていられるだろうか。と考えるまでもなく、風邪で病んでいるので走れない。むやみに韻を踏む気力もない。
以前、テレビ番組だった雑誌だったか、どこかで「呼吸というのは、空気を吸って吐いているように感じられるかもしれないけれど、じつは吐いたので仕方なしに吸ってるんですよ」というような説明を聞いたような気がする。
そのときは「なるほど」と思ったものの、いま思い返すと一体なにが「なるほど」なのかさっぱりわからない。ふと呼吸の化学式を思い浮かべようとしてみても、「なんか6がいっぱいあった」という記憶のふちに指先が微かに接触するのみ。クエン酸回路とか電子伝達系とか、高校の頃はあの辺わりと得意だったはずなんだけど。
吉田篤弘さんの新しい
エッセイが出ていたけれど、本棚に置き場所がないのでどうにか我慢。
会う人みんなから、「長期入院患者のギプスみたい」と揶揄される、お気に入りの
iPhoneケース。年末から数日間使っていたら、なんだか長期入院患者のギプスみたいに思えてきた。
といったレビューをAmazonに書いておこうかとも思うのだけど、わりと本当に気に入っているのでわざわざ商品価値を下げるような発言はしないでおこう。ちなみに色違いの
マルチレッドの方は700円くらい値下がりしている。なんということ。
この色違いをiPhoneに表示して見せると、会う人みんなから追い打ちをかけるように「こっちの赤の方がまだマシだったんじゃないですか」と言われるのだけど、「世の中のどこに赤いギプスがあるのだ」と言い返す。
ちいさな頃は、誰しも一度はギプスあるいは松葉杖に憧れるものだけど、僕がはじめてそれらの世話になったのは高校三年生の頃だった。部活のバレーボールの練習で、着地の際に藤原君と接触してふたりで足首を痛めたのだ。
わりと大事な試合が迫っている時期の出来事だった。僕は、自分の症状はそこまでひどくはないと考えて医者にいくのを躊躇っていたら、翌日の午後、体育館に足を踏み入れた頃には足首全体がシュレックに出てくるロバみたいな土気色に染まっていて、マネージャから「不気味なので病院に行った方がいいと思う」と助言をもらった。その頃はまだシュレックが公開されていなかったので、この高貴な僕の御々足に向けてさえ不気味という言葉しか出て来なかったのだろう。
じん帯の半断絶、というのが診察結果だった。いかにも中途半端だ。
翌朝、松葉杖をついて登校すると、向こうから同じように松葉杖をついた藤原君が近づいて来た。とにかく、この奇妙なiPhoneケースが目に入るたびにそうした記憶を辿ってしまうので、僕はわりと嫌いではないのだ。

今年、僕の年賀状が元旦に届いた人は、正月早々ささやかな奇跡に遭遇している幸福を噛み締めて欲しい。そもそも僕が年賀状を投函したのが今日(一月三日だよ)だから、よほどの事情がなければ叶わないと思うけれど。
おせち料理はそんなに食べられないけれど、年を重ねるにつれ雑煮は至高の美味しさに感じられるようになってきた。どうしてあんな適当な料理が(失礼)これほど美味しいのだろうと考えてみるに、おそらく正月にしか食べられないという希少性が関連しているに違いない。
そういう事であれば、コーヒーを飲むのも七夕の夜だけに限定してしまおう。東の空にベガとアルタイルを確認しながら、幸福な再会を祝ってそっとカップを傾けようと昼食を終えたときに誓ったのだけど、すっかり忘れておやつの後にミルを回していた。たぶんこの逸話自体も数日で忘れると思うので記しておく。
数ヶ月前に買い替えたコンピュータで久しぶりに自分のサイトを確認してみたら、文字サイズが小さすぎて読むのがつらい。ふと考えてみると、3.5インチのiPhoneと27インチのiMacで同じリソースにアクセスし、得たいものがテキストであれば受け取る情報量はなんら変わらないわけで、ずいぶん不思議なことが起きているんだなと思う。
むずかしいことを考えていても目と頭が痛いだけなので、文字サイズをすこし大きめに変更。
村上君が撮影していた初詣の写真が
アップされていたので、三分弱の動画にまとめた。Apple TVを買って以来、動画の編集がちゃんと見返りのある作業になったように思えて、楽しい。
今にして思えば、昔撮影した動画を鑑賞するときにまず最初につまずくハードルは、「ディスクを探してレコーダに入れる」という面倒な仕事だったのだ。
Twitterから離れて数日。書きたいことをすぐに書いておきたいと思えるようになった。なんだか皮肉な話。それから、この感触はなんとなく転校に似ている。
ほとんど動画を撮っていたので数枚しか写真が残っていないのだけど、先日の大晦日の風景を
アップ。
一昨日の夜、早く寝なさいと言ってもなかなか聞かない子供たちに、怖い話をした。雪の山小屋で、凍死を恐れた四人が順番に角をまわるやつ。
「……暗闇の中、四人目のDさんが壁づたいに歩いて、誰かの肩にタッチしました……。そこにもうAさんは居ないのにね!!」といった具合にクライマックスを盛り上げたはずなのだけど、「じゃあ、誰かいたんじゃないかな」と五歳の息子は僕に尋ねる。知らない。そこは自分で考えて欲しい。いちばん大切なところだから。
そんな彼も、なぜか昨年から山姥(やまんば)だけは極端に恐れる。たぶん幼稚園で絵本でも読んだのだろうけれど、日常生活においても時折、三枚のお札について気にしている様子が見て取れて興味深い。
いまこの文章を書いていて気がついたのだけど、彼が餅を食べないのは、山姥の最後と関連しているような気がする。

いつの頃からか、大晦日は地元の友人数名で取り立てて計画もなく集まり、なんとなく除夜の鐘の鳴りそうな方向を目指して車を走らせたかと思えば、神社でたき火に当たり、さも初詣を楽しんでいるかのように振る舞う様式が出来上がっている。2011年の大晦日も実にそのように過ごす事になった。
思い返してみれば、2010年の大晦日は宝塚の中山寺へ赴いたのだけど、時間が早すぎたこともあって一部の区画への出入りが制限されていたり、来訪者が多すぎるせいで火にあたる事もままならなかった。それで仕方なく方針を変え、中山寺から山本へ向かう途中にある八幡神社というちいさな神社に赴いた。というよりも、たまたま通りがかったので車を停めた。
こういってはなんだけど、八幡神社は「先週完成しました」といわれても頷いてしまうくらいツクリが真新しく、要するに神社としての風情だとか、由緒ある佇まいだとか、そういったものはまるで感じられない。建物の雰囲気や材質も、ちょっとした手違いで長いあいだ使われることのないまま倉庫に眠っていたドリフの大道具みたいに見える。
しかしながら、ここに集まる人達は一様に話し好きで、なかなか楽しい一時を過ごすことができた。管理を担当されていると思しき人達は、初対面の若造である僕たちに終始くだらない冗談を投げかけてくれて、とても居心地が良い。限られた土地に大げさな屋台は設営されていないけれど、人が少ないから好きなだけ火に当たることもできる。
一年前のそれらの行いから何かを学んだ僕たちは、その失敗を完全に忘却して、今回もまた比較的大きな西宮の有間神社へと向かった。車道からも目に入る威勢良く燃え上がった炎は期待していた通りだけど、あわや百人を越えるほどの参拝者の列に辟易し、あっさりと退散。それほど距離の離れていない公智神社へと向かった。そしてまたもこの方針転換が功を奏した。
先ほどまでの大きな神社とは違い、火にあたっている若者たちはみんな「初詣ということで仕方なく来てみたけれど、思いのほか寒いし、やっぱ適当なところで引き上げよう」という顔をしていて、ハングリーさというか、イベント満喫感がない。きわめて土着的というか、いつもの商店街的な気負いのない呼吸が感じられる。そうしたわけで、公智神社もまた神社的な評価でいえば、惜しくも関西ウォーカーの初詣特集に掲載されないレベルだと思えるけれど、そのこじんまりとした佇まいがじつに良い方向に作用していたと思う。
お賽銭をいれて手を叩き、「来年はできれば毎日、ウェブサイトを更新できますように」と祈った僕は、元旦の更新を忘れた。
これまで一度もこのページで触れて来なかったのだけど、じつは二年前のこの日からTwitterを始めました。
地上のあらゆる生命体から、ちょうど正確にスープが冷め切るくらいの残念な距離を保って生きてきた僕みたいな人間は、元々ソーシャル・ネットワーキング・サービス全般の価値に疑念を抱いていた。なんだか面白みのない言い方だけど、そうした仕組みを楽しむ心境がうまく想像できなかったのだと思う。
たとえば、僕が大切に育てている雄のセキセイインコが、あるとき羽を傷めたとする。手乗りをしつけようとしてカゴを開けたところ、勢い良く飛び出してそのままリビングの大きなガラス窓に派手にぶつかってしまったのだ。
僕は間髪入れずに「セキセイインコ大怪我なう」と呟くだろうし、それに気づいた親切なフォロワーが「【拡散希望】(;゜○゜)詳しい人ヘルプなう! RT @bicoid_com セキセイインコ大怪我なう」とか広めてくれるだろう。うまくいけば労りと慈しみの糸で人々の思いは紡がれ、そこかしこに優しさと温もりが溢れるかもしれない。人脈が広ければたしかに合理的だ。地元の良心的な動物病院を紹介してもらえる可能性だってあるわけだし。
でも、この話をするうえで最も大切なのは、僕はセキセイインコなんて飼ったことがないという揺るぎない事実なのだ。ただの一度も。従って、僕はソーシャル・ネットワーキング・サービスに抱く自身の疑念を説明する段において、想像上のセキセイインコに想像上の怪我をさせるという綱渡り的な危うさを孕んだ思考実験を試みているわけであり、あなたが先ほどから不安に感じているまさにその通り、この仮定には見事なまでに着地点がない。透明なガラスの板に阻まれて美しいその羽に致命的な傷を負うよりもずっと前から、どれだけ羽ばたいてもどこにも辿り着けない運命を僕たちは知っていたんだね。
ともあれ、僕がTwitterを始めるきっかけとなったのは、そうした疑念をいったん脇においてもいいと思えるくらいに膨らんだ、いたずら心と好奇心だった。
前者のいたずら心は満たされたと思える。僕ほどの、いわば冷製スープ的距離感の人間が、これまでの態度を翻して何の前触れもなくTwitterを開始していたら(しかも何かをはじめるのに最も適していない大晦日の夜に)、たぶん正月が明けた頃には友人数名が閉口のち脱臼して椅子から転がり落ちるだろうという試み。この仕掛けは、おおよそ目論見通りに果たせた。
後者に挙げた好奇心とは、言い換えれば「僕の言葉はどのように人々に届くのだろうか」という興味だ。こちらについては二年が過ぎた今、すっかりどうでもよくなってしまった。
つまり、結局のところ、矢印の向きが逆だったのだと思う。僕の言葉が誰にどのように届くかなんてこと、今となってはどうでもいい。いま僕に語ることができるのは、「僕が皆から」どれだけ多くの言葉を受けたかという事実だ。本当にそう思う。
この二年間、Twitterというツールなしでは知り得なかった人たちから、わずかな文字数の言葉を介して、いったいどれほど多くの思いや記憶を受け取ることができただろう。優しさや、気遣いや、温もりを。ときには許されることのない怒りや、癒えることのない悲しみや、報われることのない痛みを。二度と温まることのないスープのような虚無感を。残業があるところに残業代があるとは限らないけれど、光が射すところに影はある。
さて、話を戻そう。
僕にとって神様のような存在である@mkinoさんや@7ganoさん、それに@hetimaさんの思考にリアルタイムに触れられるのは、じつに愉快な経験だった。思わず口元を緩める@sakurako_sさんの佇まいには勝手に親近感を覚えたし、@enaenaさんのユーモア溢れる家庭観には時々妙に唸らされてしまった。深夜に@uzakadeuさんにつっこまれるのはもはや様式美のように確立されたし、@maru_boloさんとやり取りするといつも学生のような気分になった。@604eさんのささやかなユーモアに彩られた逆三角形的発言には心躍らされ、@tomooikaさんや@whitet_akaさんの言葉からは高い意識で学ぶことの大切さを考えさせられた。@zugaさんの発言にはときどき五感が呼応するような感銘を受けたし、@ozachouさんの瞬発力を伴った鋭さと知性には笑い転げると同時に悔しささえ覚えた。@koromo_korokoroさんの、絶対にどこか変なんだけどどこが変と指摘できない振る舞いにはひたすら平伏せざるを得ない。@JSMachさんと@tobifushikoさんは想像していたよりもずっと口数が多くて楽しくて、@harurinさんは想像していた通り口数が少なかったけれど、ただただ親密さを感じられた。@panpotさんの有意義なツイートの集積はずいぶん役に立ったし、@padmacolorsさんの無意味なツイートの羅列もそれはそれでずいぶん役に立った(褒めています)。
僕の人生にくっきりと大きな節目をつくったその他の人たちについては、ここでは取り上げない。奇妙な言い訳に聞こえるかもしれないけれど、僕は言葉であらわせる範囲のことしか言葉であらわせない。
とにかく、なんの説明にもなっていないけれど、僕は一旦Twitterをやめてみようと思います。僕の好きな、尊敬する、憧れる人たちがこれだけ近くに存在しているという感覚は、あまりに居心地がよくて、あまりに温かい。どんな孤独の淵にいても、コンピュータを開けば、iPhoneを覗き込めば、いつだって誰かと繋がっていられるというこのやわらかな感触に、いつからか僕は甘えているように思えるのです。大げさな話だなと自分でも思うのだけど、世界はあの頃の僕たちが考えていたよりもずっと大げさな仕掛けで動いていることを、大人になった僕たちは知っている。
手始めに、僕はきちんと足腰を鍛え直そう。まず自分のサイトをきちんと管理しよう。僕にしか書けないコードを最後まで書き終えよう。自分の影を見つめ直して注意深く耳を澄ませよう。さもなくば僕は、人々から与えられてばかりの甘えた人間になってしまうような気がする。いや、すでにそうなりはじめていることが自覚できているから、一旦ここに線を引きます。予想通り二、三日で寂しくなって、前言撤回して普通にツイートを再開できるくらいの、雨で流れそうな弱々しいチョークの線を。
というわけで。
いつかまた僕がTwitterにログインする事があったなら、そのときにはセキセイインコの話のつづきを語ろうと思う。想像上のセキセイインコが、想像上の怪我からどのように力強く立ち直ったかという具体的な話を。
真顔で適当な嘘ばかり並べる僕に、あきれることなく最後まで付き合ってくれたすべての方々、ありがとうございました。皆さんの存在は、どれだけ感謝してもしきれないくらい、僕の日々の潤いと励みになりました。
……あそうだ。すっかり言い忘れていたけれど、我が家には去年の十一月に、三人目の子供、次女まどかが生まれました。僕が非常に知的で高度なジョークを述べるたびに、狩りに失敗したウンピョウのような目でじっと見つめ返してくるので、きっとまだ言葉がわからないのだと思う。
もし「……あのさぁ、どうしてそんな大事なこと、一年以上も隠していたの?」と問われれば、「君の驚く表情が見たかったから」と答える。迷いなく。
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