100728:0723

「これからは午前3時に起床して活動を開始するのが、世の中のトレンドになる」と豪語していた僕は、いま、出勤予定時刻の8分前に目を覚まし、これから対峙するタスクの優先順位を高速で計算している。その僕の頬に、隣から娘が値札シールを貼る。380円だった。子供に値札を貼られる父親は、いま必死に考え事をしている。


100727:0123

更新がおそろかなのは、一日中ノックアウト・マウスのことを考えているからではありません。


100721:0703

予定が少し早まって、21時くらいに仕事が終わった。午前中に予想外のトラブルが発生したけれど、それほど慌てる事はなかった。仕事に関して、近年の僕に成長した点がもしあるとすれば、得体の知れないトラブルに遭遇した際、即座に高橋ジョージさんを思い浮かべるくらいには、心に余裕が持てるようになったことだろうか。なかなかできる事ではない。

午前1時くらいまで、考え事をした。ここ数日間の自分の思考を振り返って、なにをこんなに浮かれているのだろう、と検証してみるものの、最後には浮かれているのか沈んでいるのか把握できていない事に思い至る。


100719:2314

金曜日の作業は27時前後に終わり、そのままホテルへ。ビジネス層を主要な客層に捉えるにしては小洒落た新しい建物で、泊まるのは三回目。直前に予約して部屋は最上階だったけれど、景色の良い立地でもないから、違いは単にシャワーの水圧が弱いくらい。つまり嬉しくもなんともない。チェックアウトが原則12時なのは好ましい。

午前4時半まで眠れず、翌朝はたしか10時台に起きた。頭の半分をこんこんとノックして、チェックアウトの直前まで、めずらしく長電話。建物を出るときに、見慣れた景色が少し違って見えた。

土曜日は、昨日とおなじ座席に、13時から23時40分くらいまでじっと座っていた。といっても話を省略しているわけではなく、本当にただじっと座っていた。他グループの作業が大幅に遅延した影響もあり、僕が担当するはずの作業がほとんどなくなってしまったのだ。申し訳ないと謝られつつ、まぁそういう事もあるよねとフラットに受け止めて、終電のひとつかふたつ前の電車で帰宅。

翌日は18時半に家を出て、車窓に夕日を眺めながら20時に作業場に到着。日付をまたぐ深夜作業なのだ。ところが今度は進捗が思いのほか早まって、翌朝午前5時終了のはずが26時半に終了。始発で帰路に着くつもりだった僕は、知り合いという知り合いに電話をして朝まで暇を潰そうかと思ったけれど、本当に実行すると知り合いという知り合いがいなくなる気がしたので、おとなしくタクシーに乗った。
 車内で何を話したかあまり覚えていないけれど(そもそもどちらかと言えば僕は無口な運転手さんの方が好みなんだけど)、運転手さんはやたらと僕のことを気に入ってくれたようで、別れ際にわざわざもう一度ドアを開けて、「またどっかでコーヒーでも飲んでや」と500円玉をくれた。20年が過ぎても、この硬貨を持つとコロコロコミックを買ってしまいそうになる。


100716:1232

鞄の奥に着替を放り込んで、出かける準備。帰宅は日曜日の早朝の予定です。


100715:1133

連日の午後出勤。時間があったので、朝、娘の幼稚園の見送りをしてあげようかと思い提案したら、本人に「いいです」と言われた。君は時折、とても丁寧な言葉を使うね。

昨日の豪雨はぴたりと止んだけれど、まだ空は重く、ただただ蒸し暑い。僕がアブラゼミだったら、もう一度地面に堀られた穴に帰ってしまうところだ。そして豪雨でやっぱりひどい目に合うんだけど。


100714:1033

眠って起きたら風邪は良くも悪くもなっていない。相変わらず、組成の大半が入れ替わってしまったみたいに頭は重く、顔色は冴えず、なにかを飲み込むと喉が痛む。ただ、症状としてはそれ以上でも蛸でもない。ここからの5日間は代わりになる人間はいないので、前進あるのみ。全身アルミノだったら多分動けないんですけど。


100713:2005

目が覚めた瞬間、一夜にして喉元に発生したリアス式海岸に違和感を覚え、「これはまずい」とつぶやいた風邪ひきの僕。鏡の前に立ってしゃべってみると、泥酔した淡谷のり子先生のような救いのない声。そもそも鏡の前に立つ理由がない。

積み重なる仕事を、得意の「ぼーっ」で切り抜けて、「あと二時間で定時なう」でセンタリングを上げ、障害物競走のブービー賞争いのように、悲惨な顔つきで帰りの電車へ突入。ここで負けたら半年間クラスの笑いものだからね。淡谷のり子先生の酔いもさすがにこの辺りではクリアに。

帰宅して体温計をあててみると、液晶画面に「はやくねろ」と出たので、寝ることにする。覚醒した世界への別れのブルースを口ずさみながら。おやすみなさい。明日がより良い一日でありますように。


100713:0012

……ここ数日間の僕はすごい。かみさまに特権を与えられたみたいに、いつの間にかすぐ身近にいてくれた人が放つ圧倒的な才能を目の当たりにして、落雷を恐れる子羊のようにただただ怯えている。食事も喉を通らない。とはいえ昼食はカレーを食べたし、夕食は野菜炒めをたくさん食べた。ぱちんと手を揃えて「ごちそうさまでした」も言った。それにしても、の衝撃。

週末に仕事が山積みなのだけど、ホテルの予約が取れなかった。野営か。最後に野営を行ったのは杉尾さんと藤原くんと山口県を訪れたとき以来。原付の旅だった。野営か。あの野営か。朝、小学生の笑い声で公園で目が覚める、あの野営か。断る。

こうなったらレッキングクルーのようにハンマーを手にしてホテルに突入するしかないのだけど、たぶん誰も微笑みかけてはくれまい。ハンマーの有無に関わらず、マリオには違いないのに。指輪の有無に関わらず、約束には違いないのに。


100711:2212

家を出る前から予想はしていたけれど、やはり風が強い日にはこの手法は向いていない。やや耳触りではあるけれど、わずか9枚の写真集Electionを公開。サウンドはこちら。都合により二分間程度だけ省略しているけれど、家を出てから家に戻るまで録音し続けています。

帰り道の途中で、一度だけ、僕が「え」と声を出してしまっている場面は、魚のいるはずもない自宅近くの浅いどぶ川にカモが泳いでいるのを初めて見たから。びっくりした。


100711:0923

何時に眠ったのかよくわからないけれど、午前8時半に目が覚めた。ソファに座った子どもたちが、昨日買ってもらったばかりのビート板を抱えて、鼻をぐすぐす言わせながら「今日はプールに行けたら楽しいよねぇ」とあくまで第三者的見解として希望を述べている。
 たとえば僕が法を司る立場であったとして、図書館で走りまわるのと、プールサイドを駆けるのと、いったいどちらを厳罰に処すべきだろうか、としばし考える。食パンにハムをのせて、さらにチーズをのせる。それを二口かじり、咀嚼する。眼を閉じる。ハムが口の中でころころと居場所を変える。噛むときの擬音は「はむはむ」だ。そういえば食べ物をかじりとる事だって「食む(はむ)」と表現する。おだやかな日曜の朝は、世界中の大気に、気の利いた誰かが展開してくれるのをひっそりと待つ簡潔な駄洒落に溢れている。ところでチーズはどこへ消えた?

そうこうしているうちに、僕は、プール内に図書館を併設してしまえば法律はひとつで済むことに気がついて安堵する。無粋な決まりごとは少ないに越したことはない。口に含んだアイスコーヒーはとびきり冷たくて、先程までのハムもはむはむも食むも綺麗さっぱりと洗い流していく。


100710:2258

昼下がりから予定外の睡眠をとった。たしか14時くらいに、いつもより明確に頭の中心がぼんやりしている事がわかったので、30分くらい横になろうと考えた。そうして横になり、目が覚めたら17時だった。なにかのテレビ番組で見かけたような感嘆は込めず、とても平板なイントネーションで「なんということでしょう」と述べた。

夕食を食べ終えてから、靴を買いにひとり出かけることにした。午前中にもスポーツ用品店を訪れたのだけど、気に入ったもののサイズが揃っていなかったのだ。遅い日没ではあったけれど、さすがに19時を回ると町は人工的な灯火に満ちていく。いつもと同じ道を南へ下っていると、ふとしたきっかけで、このままどこまでも南へ進みたくなってきた。そう、何年か前の僕は、よくそんな事をしていたのだ。何も考えずにスロットルを回し、景色を目に焼き付けながら、ただ淡々と信号を超えていくだけの時間。似ている。午前3時から4時にかけて、僕の体内を血流がめぐる音を聞く、あの時間と。

どれくらいの時間が流れただろう。気がつけば僕は海辺の町にいた。人工的で、どこか退廃的な夜の港。そこには人が「海」と聞いたときに一番に思い浮かべる、あの抱擁力のある景色はなかった。砂浜もなく、海鳥も舞っていない。波の音も聞こえない。コンクリートと鉄の居場所だ。巨人の肩のようにいかめしい煙突の向こうから、かすかに潮の匂いがした。
 わずか五分ばかり、その場に足を止めてから、僕は広い道路をゆっくりとターンした。僕が探していたのは、靴だ。


100710:1329

最終話、Track 04を公開しました。


100710:0925

PodcastのTrack 03を公開しました。約30分。編集のほとんどは、杉尾さんの放送不適切用語をカットする作業なんですが。


100710:0741

二日前のリンク、IEだと見られませんでした。タグの閉じ忘れ。一緒に声に出してみますか。タグの閉じ忘れ。発音の抑揚としては、鶴の恩返し、と似たり寄ったりです。


100710:0037

2009年の12月31日から、Twitterをはじめた。

僕がいわゆるSNSに参加するにあたって、地球環境の危機に関連する代替のない差し迫った理由が内在することは、Podcastをお聞き頂いた皆さんには自然と理解いただけたものと思う。僕はそこで、「二、三人だけ、いつも気になることを発言する人がいる」と口にした。そのうちの二人が、たかは氏と、つばめ嬢だ。言い回しからわかるように、あとの一人はいるようないないようなごまかし方をしておくのが大人の対応というもの。

変拍子な日々、』を運営するたかは氏は、自身の名をたかはしあつし(仮名)と述べている。思わせぶりに平仮名で名乗っている点を考慮しても、たかは指圧師であることは誤魔化しようがなく、僕は背伸びしても決して届きはしない畏敬の念を込めて、たかは氏と呼ばせて頂いている。そこにあるのは畏敬の念であって、茶化しつつ呼び捨てにする悪ふざけではない。また、こんなに茶化しているけれど、僕より年上である。
 以前、なにかの折に年齢を伺う機会があった。彼は「アンジェリーナ・ジョリーさんと同学年ですけれど、同じクラスになったことはないです」と返事を下さった。僕はくすりとも笑いはしなかったけれど、このチャーミングさはぜひとも覚えておきたい。……本当のところは、長時間ニヤニヤしたんだけど、それは言わない。つけくわえて言えば、僕はいつかこっそりと、彼が文章に織り込む様々な技巧とぬくもりを手に入れたいと思っている。

つばめ中性紙フールスノート』を書き記すつばめ嬢が、なぜつばめ嬢なのか、それは誰にもわからない。たぶん彼女に直接尋ねても、あっちを向いたまま「だって私には翼があるから」とか言いそうな気はする。いや、言わない気もする。ぐでんぐでんに酔っていても、なお言わない気がする。それはそれとして。
 ……たとえ彼女が自身のつばめ性に言及しなかったとしても、そのちいさな背中に驚くほどしなやかな翼を生やしていることは事実だ。彼女は時折、人が立ち寄れない世界の淵を見つける。誰もが足をすくめる深い谷底を、その透明な瞳で覗き込む。そして、細く切り立った崖に両足を揃えて立ち、とても綺麗な詩をうたう。その詩はあまりにも澄んでいて、ときとして誰かの(僕の)心臓をえぐり出すことがある。彼女にはそれができる。

紹介の雰囲気が、たかは氏の時とずいぶん違うじゃないか、とあなたは感じるかもしれない。僕も感じる。でもきっちりとバランスは取れているのだ。たとえば、つばめ嬢に年齢を尋ねてみればいい。「ちょっと待って。えーと、二進数で答えると……」という、じつにどうでもいい返事が聞けるはず。


■変拍子な日々、:たかは氏の書く文章は、三日間ひなたに寝転がっていた雌猫のように、いつもやわらかくあたたかい。

■つばめ中性紙フールスノート:どちらかと言えば煙突からガチョウを逃がすタイプの人。僕は屋根に腰掛けてそれを待つ。

■bicoid WAVE:その価値は価値の無さの中に。

■647 dna:宝塚に集まる、よくわからないDNAの総称。

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