午後四時をまわった辺りで不意に図書館へ行きたくなったので、家の中で走り回る子供たちに手を焼く奥様に「図書館に行ってくる」と告げると、「あなたは自由ですね」と言われた。英語の教科書の例題ではなかなか見受けられない会話文だろう。
 曇り空の下を原付で走り出すと、なんの脈絡もなく懐かしい景色が見たくなった。気分のままに、宝塚の市役所を通り過ぎて実家の近くにある小林の図書館へ行くことにした。

 僕の実家のマンションは、阪急逆瀬川駅から川沿いに、ちょうど行軍中の兵士であれば約半数が死滅するほどの距離をのぼりきったところにあるので(人はその地を仙界と呼ぶ)、大学生になって原付を買うまではあまり図書館とは縁がなかった。それが今では、気分によって川西と清荒神の図書館を選択できるし、こんな風にふしぎな気持ちに陥った曇り空の土曜日には、小林にさえ足を伸ばせる。

 時間が遅いせいもあって、人影はまばらだった。日食にあわせてのものか、入り口近くでは一般向けと思われる宇宙関連の書籍がいくつか並べられていた。
 なにかはっきりとした目的があって訪れたわけでもないので、僕はそれらの並びは軽く一瞥するだけで奥のほうまで進み、控えめな大きさのモノクロの写真集を手に取った。そうして飾り気の無い椅子に腰掛けると、ぼんやりと中身を眺めた。どの写真にも色はなかった。形があり、光があるだけだ。像が浮かび、記憶があるのに、感情が思い出せないみたいに。
 最後の数ページをめくっているときに、どうして唐突にこの場所を訪れようと思ったのか、少しわかったような気がした。手ぶらのまま図書館の扉を出たのは、ちょうど四十分ほど過ぎてからのことだ。空を覆う雲はいっそう重さを増し、さっきよりも通りを行き交う車の数が増えたように思えた。電信柱の上から大きなカラスが僕を見下ろしていた。

 本社で会議と茶話会を終えて帰宅。ふと過去の日記を読み返していて気がついたけれど、最近のバージョンのiBooks Authorって、PDF出力時のページ下端に「透かし」を埋め込むのがなくなったのだろうか。
 2012年以降、誰に宣言することもなく、過去の日記をこっそりPDFで残していくことにしたのだけど、二月分より前のPDFファイルにはしっかりと「透かし」が埋め込まれていたのだ。もちろん余計な表記はない方が好きだから、この際すべて出力し直すことにした。それにしても、見方を狭めればこれだけ多機能なPDF編集ソフトが無料って、恐ろしいことするなぁと思う。

 月曜日の夕食の席で、とある仮定の話が持ち上がった。
 その日の昼頃に、なにげなく奥様が息子に「もしお母さんが急に死んじゃったらどうする?」と尋ねたところ、五歳の彼はすこし考えてから「ケイタ君のママにお母さんになってもらう」と答えたらしい。ケイタ君のママは、ありていに言えばちょっとした美人であるわけだから、比較的賢明な選択と評価できる。結果的にみればWin-Winの関係と言えるだろう。見ての通り、深く考えずに書き連ねている。

 身近な人が、「気になっていた大橋トリオを聞き始めた」というので僕も聞きたいと思っているのだけど、よく考えてみるとその印象的な「大橋トリオ」という名称、「劇団ひとり」と同じベクトルですよね。別に手に取ることをためらう理由にはならないけれど。
 
 日本語で取り扱えるフィードが一気に増えたFlipboardでそこら中を飛び回っていたら、科学系のサイトの至るところで科学誌NewtonのiPad版のリリースが宣伝されていた。
 年間購読で250円。紙媒体で買うと確か1000円だから内容はずいぶん限定されたものに違いないけれど、一年くらい試してみるのも悪くないかもしれない。と思ってクリックしてみたら、無料の創刊号(300MB程度)を落とすのに一時間近くかかった。

 日曜日に、以前住んでいた町にあるダイエーに出かけた。奥様が買い物をしている間、子供たちをつれて店内を探検していたら、ちょうど正面玄関のあたりにセパレータが設けられ、地元のたくさんの幼稚園で子供たちが描いたと思われる、母の日のイラストが展示されていた。

 だいたいどのイラストも漫画的にデフォルメされた画風であったのだけど(年少組らしき幼児の描いたものについては、ある種の無名の軟体動物に近いけれど)、「ルンビニ学園幼稚園」と説明のあるボードに貼られた絵だけは、どの母親も、太い櫛のように何本ものくっきりとした歯が描かれていて、しばらく視線が止まってしまった。
 気になったので確認してみたけれど、ほかの幼稚園で集められた「母親たちの顔」には、歯を描いてある絵というのはほんの数えるほどしかなかった。たいていはコップに沈んだ三日月のようにくっきりと口の形が空いているだけなのだ。

 帰宅する車の中でその情景を思い起こし、「……ルンビニ学園幼稚園ってどこにあるの?」と奥様に尋ねると「たぶん、メフニアル」という田中康夫の書き下ろし小説みたいな言葉が返って来た。そういえば「生粋の逆瀬川っ子は、全員、売布という土地に対するイメージが共通しているのではなかろうか」と僕なんかは推測しているのだけど。

 ちいさな赤い自転車から補助輪を取ったのはわりと前の話なのだけど、七歳の茜はずいぶん長いあいだ、コマなしのそれを乗りこなせずにいた。「練習する」というので休みのたびに付き合ってみたけれど、観察してみる限りほとんどペダルに足を乗せないまま、地面を蹴って不自由そうに移動するばかりだった。たまに両足が地面から離れたかと思えばふらふらと左右に揺れてあわてて止まる、の繰り返し。
 誰かに失敗を見られることを極端に恐れる彼女の性格もあって(おかげで妙に字を書くのが上手い)、なかなか勇気を出してペダルに足をまかせようとしない。補助輪があった時にはおとなしかったハンドルが、まるで陽気な春の眠りから覚めて馬舎を飛び出したばかりのケント・デリカットみたいに、彼女の両腕のなかで不規則に大きく揺れ動く。

 親として、自転車の練習を手伝ってあげるときには、どの位置に立つのが適切なのだろう。
 ハンドルの前に立って引くのは間違っているように思えた。コマなしの自転車が左右に倒れない最大の理由は、言うまでもなく最低限のスピードが出ている事だろうから、前や横で彼女のスピードを抑えさせるように支えるのでは上達するはずがない。かといって、彼女の肩や背中を支えても、倒れる角度がやや狭められるだけだろう。
 あまり考えても仕方が無いように思えたので、彼女の自転車が遅いことなど気にせずにさっさと町内を移動して、空や石や奇妙な虫の写真を撮る、を繰り返していたら、本格的に練習をはじめてたったの半日ほどで上手に乗りこなせるようになっていた。置いていかれるのが悔しかったみたいだ。

 大人になって、たやすく自転車を運転できるようになってしまった僕たちは、あの頃なぜうまく自転車に乗れなかったのかをうまく説明することができない。いまさら操作を忘れて「下手に乗る」ことだってできないだろう。体で覚えたことを頭で忘れるだなんて、できるわけがないのだ。さまざまな記憶の成り立ちとおなじように。

 そういえば先月の末、TM NETWORKの新曲がリリースされた。僕の知る限り、たしか日本国民全員がためらいなく買ったわけだけど、僕について言えば楽曲そのものよりもPVを見たときの方が胸にこみ上げるものがあった。駐車場の真ん中にソファがあったらわりと邪魔だと思う。

 連休の最終日は、懐かしくなって昔のアルバムを聞き返したりビデオを見返したりしていた。たしか中学生の僕は、宇都宮隆さんのステージ上での動き、ダンスやパフォーマンスについて、かっこ良いのかかっこ悪いのかよくわからないなと感じたのだ。そして「大人になればわかるだろう」とその問題を棚上げにしたわけだけど、三十歳を過ぎてみても謎は深まるばかりである。だいぶ奇妙な動きをしますよね。

 思春期の刷り込みというのは恐ろしいもので、『Self Control 〜方舟に曵かれて〜』みたいに何度も聞き返した曲なら、今でも歌詞をそっくり覚えているものなんだな、と感心していたら、サビの「自由のナイフで」というフレーズを「自由のない船」と勘違いして覚えていたことに気づいた。しかしながら、曲のサブタイトルが「方舟に曵かれて」なんだから、どちらかと言えばサビでは窮屈な船をイメージするのが正当でしょうとここで指摘しておきたい。
「今までの僕は 本当の悲しみ 知らずにいたのさ 君に会うまでは 自由のない船 とらわれた心を 粉々にするさ バラバラにするさ」…、なんて自然なんだろう。狭い客室に押し込められて心を封じられた彼が、まずは乗り間違えた小舟を破壊せんと一大決心するスケール感の大きい歌だ。泣ける。無理に泣こうと思えば、人はだいたいどんな曲でも泣ける。

 同曲が収められたアルバムの中では、『Time Passed Me By』が一番好きだった。ちなみに僕がはじめて自分のお金で買ったアルバムは『RHYTHM RED』です。

 ゴールデンウィークと耳にするたびに、コールテンとコーデュロイは本当に同じ物体を指す言葉なのだろうか、と心配になるけれど、僕と家族は今年も遠出する予定もなく、実家で姉の一家と対面する以外は、大阪市立科学館を訪れる程度で連休が過ぎていった。

 大阪市立科学館には、透明人間がいる。
 僕が小学三年生の頃、姉が遠足でその施設を訪れたときに、透明人間の催しを見たのだ。僕は遠足から帰宅した彼女のそのフレーズを、じつに二十年以上もの間、じっと手触りのある記憶として覚えていた。夕食の席で彼女は両親に、「透明人間がいてるんやで。ほんまやで」と口にした。ものすごくはっきりとした関西弁だなと僕は思った。

 三十四歳になった僕は、期待と不安の入り交じる思いで、はじめてその施設に足を踏み入れる事になった。
 姉から「透明人間」の詳しい情景を聞けなかった僕は、幼心に不思議で仕方が無かったのだ。「透明人間がいる」とはどういう状況を指すのか。透明なのにどうやって「いる」を識別するのだろう。あのとき、彼女の輪郭の際立った関西弁に気を取られて説明を聞き流してしまった僕には、もはや自分の両目で事態の本質を見破る以外に真実に近づく手段は残されていないように思えた。
 ゴールデンウィーク中に科学館に行きたいという思いは、ちょうど一週間ほど前の昼下がりに家族に告げていた。信号待ちをしている間、「あそこには透明人間がいるらしい」とつぶやいた僕に、背後の座席に腰掛けた奥様は「ふーん」と言った。子供たちは、語尾が繋がっていなくても良いしりとり、という根本から破綻した遊びをしていた。

 結論から言うと、科学館には透明人間はいなかった。そんな催しはとっくの昔に終了していた。当たり前だ。しかしながら、「透明人間がいた」、つまり「無が有った」と解釈すれば、透明人間の催しはちゃんとそこに開かれていたとも言える。
 数日後、僕は実家で姉と再会した。彼女は何気なく「ゴールデンウィークはどっか行ったん?」と尋ねてきたので、僕は淡々と「大阪市立科学館」と答えた。彼女はじっと僕の目を覗き込むようにして、「透明人間、いてたやろ?」と言った。

これまでのあらすじ
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